総集編

ノックスビル

 私が在外研究で滞在したテネシー大学は米国,テネシー州ノックスビルという人口20万人の街に位置する.テネシー集は東西に長く,ノックスビルは人口はそれほど多くはないが,経済的にも文化的にも東テネシーの重要都市である.ノックスビルの南東に位置するグレートスモーキーマウンテン国立公園は非常に美しい国立公園で,毎年,何百万人もの人が訪れる. カントリーミュージックの一派であるブルーグラスの聖地でもある. そして,大学は学生数2万5千人にもかかわらず,キャンパス内に10万人を収容するフットボールスタジアムがあり,秋から始まるシーズンのホームゲームが開催される日には,スクールカラーのオレンジ色に身を染めた老若男女が東テネシーの各地から続々と集まり,10万人のスタジアムを満員にしてスクールソングを歌うのである.  こんなノックスビルだが,私の最も印象深いことはアメリカにはめずらしく四季がはっきりしていることであった.秋には木々が紅葉し,山々は非常に美しい.テネシーは一応南部なのだが冬は非常に寒く雪も積もる.春になると花が咲き乱れ,桜も咲く.夏は非常に暑く,毎夕,名物のサンダーストームがやってくる.とこんな具合である.四季ごとに違うノックスビルの風を感じることができたことは,この街が日本人の私にとって非常に住みやすい街だと感じた理由の一つであったのだ.

ICL

 さて,私のお世話になったのはJack Dongarra教授が率いるInnovative Computing Laboratory (ICL)という世界的にも著名な並列処理,分散処理などの研究を行っている研究室であった.この研究室にはいくつか驚かされることがあった.  

 まず,研究者が学生の研究員,スタッフの研究員合わせて50人と大学の研究室としては巨大だ.ご存知のように,米国の大学で研究を行うには莫大な資金が必要となる. 使用する電力,ネットワーク,部屋の使用とすべて大学当局から課金されるのである. 私の滞在中に大学が予算の決定の関係で一時期閉鎖されるというハプニングがあったのだが,そのときでも,お金のない学科や研究室の建物は夏だというのに空調も電気もついていない状態だった.また,優秀な学生を研究員として雇うためには彼らの経済的な支援を行っていかなければならない.そのため多くの研究費をかき集め,研究室を運営すしているのである. その予算規模は一研究室であるにもかかわらずいくつかの学科よりも大きいのであった.

 次に予算獲得や研究の遂行のシステムに驚かされた.日本では研究室を代表する教員が,教育のほかに,研究を行い,お金を管理し,その他の雑用をこなすのが常であろう. しかしながら,ここの研究室では必要な仕事に応じてそれをこなすスタッフがきちんと雇われているのである.例えば,この研究室には予算を獲得するためのプロポーザルを書く専門家が存在する. 彼の学位は哲学博士.同僚によると,同じ英語でもすごい英語なんだそうだ. やはりこんな人がいなければ通る内容のプロポーザルも通らない. 研究室には,また,「アーティスト」という肩書きを持つ人もいる. 研究室の仕事としてwebサイトのページや研究室紹介のパンフレット,報告書,構築したシステムのデモンストレーションの作成などを行わなければならないわけだが,そこでは魅力的なデザインが必要な場合が多々あり,研究室としてデザインを統一しておいたほうが良い場合もある.なるほどアーティストというポジションが必要なわけだ. その他にもネットワーク管理者や,税理士,研究室の文章を管理する人,複数の秘書の方々がいた.  これは,システム化されたある意味では企業ともいえる研究室の形態である.従来型の研究室と比較すると,システムが進化しているといえる.これはICLだけの現象ではない.米国ではある研究分野が進歩し成熟してくると,ごく少数の研究室やグループに資金,人的資源が集中し始める.そうすると新たにその分野で研究を開始するグループは,まったくその研究グループに追いつくことができないほど技術の差が開いてしまうのだ. その結果,大きな研究室やグループは運営のシステム自体を変えざる負えないし,自然に進化するのである.  片や日本ではどうであろうか. 基本的には,研究室のあり方は従来通りである. この意味では徐々に米国の研究グループにたちうちできなくなりつつあるのではなかろうか. ただし,CEOや学術フロンティアといったプロジェクトが活性化すれば,米国的な研究グループの運営のシステムの進化が見られるかもしれない.  

新島譲とアーモスト大学

話は変わるが,在外研究期間中にボストンで開催された国際会議に参加したのだが,その際に,新島襄が学んだアーモスト大学を訪れた.この訪問も感慨深いものであった.アーモスト大学はボストンから車で西に90分ほどの郊外にある.はっきり言って田舎である. 新島は馬車に揺られて移動したのであろうが,移動中の彼の胸中はいかほどのものであったであろうか.大都市から遠ざかるについれて増す孤独感.これからの未来への期待感がうずまいていたのであろうか. ジョンソン・チャペルにある新島の肖像画はちょうど同志社に貸出しされていて,見学することができず残念ではあったが,彼が在籍したことが現在のアーモスト大学を大きく変化させていることを知ることができたのは大きな収穫であった. というのも,米国で日本語を学びたい学生がある程度いるらしいのだが,その多くがアーモスト大学を志望しているのだそうだ.新島が学び,日本と関係ができ,日本語教育が逆に開始され,それが大きく花開いているのである.なんとすばらしいことではないだろうか.

最後に

 最後に在外研究を遂行するにあたりお世話になったみなさん,ご迷惑をおかけした方々に感謝したい.在外研究制度は非常に重要な制度であり,これからも益々多くの機会が多くの方に与えられるべきであると考える.これにより同志社がいろいろな意味で発展するはずだ.この精度を継続するためにも,私自身が今後,在外研究期間中に得たことを今後大きく実らせて行きたい.