まず,研究者が学生の研究員,スタッフの研究員合わせて50人と大学の研究室としては巨大だ.ご存知のように,米国の大学で研究を行うには莫大な資金が必要となる. 使用する電力,ネットワーク,部屋の使用とすべて大学当局から課金されるのである. 私の滞在中に大学が予算の決定の関係で一時期閉鎖されるというハプニングがあったのだが,そのときでも,お金のない学科や研究室の建物は夏だというのに空調も電気もついていない状態だった.また,優秀な学生を研究員として雇うためには彼らの経済的な支援を行っていかなければならない.そのため多くの研究費をかき集め,研究室を運営すしているのである. その予算規模は一研究室であるにもかかわらずいくつかの学科よりも大きいのであった.
次に予算獲得や研究の遂行のシステムに驚かされた.日本では研究室を代表する教員が,教育のほかに,研究を行い,お金を管理し,その他の雑用をこなすのが常であろう. しかしながら,ここの研究室では必要な仕事に応じてそれをこなすスタッフがきちんと雇われているのである.例えば,この研究室には予算を獲得するためのプロポーザルを書く専門家が存在する. 彼の学位は哲学博士.同僚によると,同じ英語でもすごい英語なんだそうだ. やはりこんな人がいなければ通る内容のプロポーザルも通らない. 研究室には,また,「アーティスト」という肩書きを持つ人もいる. 研究室の仕事としてwebサイトのページや研究室紹介のパンフレット,報告書,構築したシステムのデモンストレーションの作成などを行わなければならないわけだが,そこでは魅力的なデザインが必要な場合が多々あり,研究室としてデザインを統一しておいたほうが良い場合もある.なるほどアーティストというポジションが必要なわけだ. その他にもネットワーク管理者や,税理士,研究室の文章を管理する人,複数の秘書の方々がいた. これは,システム化されたある意味では企業ともいえる研究室の形態である.従来型の研究室と比較すると,システムが進化しているといえる.これはICLだけの現象ではない.米国ではある研究分野が進歩し成熟してくると,ごく少数の研究室やグループに資金,人的資源が集中し始める.そうすると新たにその分野で研究を開始するグループは,まったくその研究グループに追いつくことができないほど技術の差が開いてしまうのだ. その結果,大きな研究室やグループは運営のシステム自体を変えざる負えないし,自然に進化するのである. 片や日本ではどうであろうか. 基本的には,研究室のあり方は従来通りである. この意味では徐々に米国の研究グループにたちうちできなくなりつつあるのではなかろうか. ただし,CEOや学術フロンティアといったプロジェクトが活性化すれば,米国的な研究グループの運営のシステムの進化が見られるかもしれない.
話は変わるが,在外研究期間中にボストンで開催された国際会議に参加したのだが,その際に,新島襄が学んだアーモスト大学を訪れた.この訪問も感慨深いものであった.アーモスト大学はボストンから車で西に90分ほどの郊外にある.はっきり言って田舎である. 新島は馬車に揺られて移動したのであろうが,移動中の彼の胸中はいかほどのものであったであろうか.大都市から遠ざかるについれて増す孤独感.これからの未来への期待感がうずまいていたのであろうか. ジョンソン・チャペルにある新島の肖像画はちょうど同志社に貸出しされていて,見学することができず残念ではあったが,彼が在籍したことが現在のアーモスト大学を大きく変化させていることを知ることができたのは大きな収穫であった. というのも,米国で日本語を学びたい学生がある程度いるらしいのだが,その多くがアーモスト大学を志望しているのだそうだ.新島が学び,日本と関係ができ,日本語教育が逆に開始され,それが大きく花開いているのである.なんとすばらしいことではないだろうか.
最後に在外研究を遂行するにあたりお世話になったみなさん,ご迷惑をおかけした方々に感謝したい.在外研究制度は非常に重要な制度であり,これからも益々多くの機会が多くの方に与えられるべきであると考える.これにより同志社がいろいろな意味で発展するはずだ.この精度を継続するためにも,私自身が今後,在外研究期間中に得たことを今後大きく実らせて行きたい.