春にして君を想う(Spring Letter)

■皆さん卒業おめでとう.今年度は在外研究でKnoxvilleにやってきてしまい,卒業式に参加することができない.本当に残念である.今年度はいろいろな方に迷惑をかけて,アメリカ生活を満喫させてもらった.同志社大学のみなさん,研究室のみんなにはご迷惑をおかけした.

■今年の卒業式では,Wくんが後期博士課程を修了し晴れて学位を手にする.おめでとう.これは研究室として初めてのことでもあるし,僕のキャリアの中でも最初から指導して博士課程が終わる初めての学生である.しかも,僕が同志社へ赴任して初めて研究室へ配属されたのが,彼らの代だ.すなわち,彼の成長とともに僕は成長してきたのである.本当に感慨無量だ.よくここまでついて来てくれたものだ.良く着いて来てくれたといえば,卒業していく修士2年生も同様だ.僕の中では割と首尾一貫した指導をしているつもりだったのだが,さぞかし,行き当たりばったりのように映ったことであろう.多くの国際会議などでの発表を行い,論文を作ることができた.学部の学生は,非常にまれな状況ではあるが,ほとんどの人が大学院へ進学する.同志社へ進学する人たちとはしばらく時間を僕と共有することができるのであろう.同志社以外へ進学する人,就職する人は是非,大学に遊びに来てもらいたいものである.今年度は特に私がKnoxvilleへいたために,直接の指導をすることができなかった.でも,その反面,学部生には大学院生が本当に良く面倒をみてくれた.そして,その面倒を見ることで,大きく成長していくのが,こちらからいてもはっきりと感じ取れた.

■今,このような職業に就いていて,一つ僕が持っているジレンマは,「授業に出ていなかったこの僕が授業をしなければいけない」ことである.特に,授業に出ないでやっていたバイトなり,遊びなり,サークルなりで得たことというのは現在の自分を構築している一部分であり,重要な要素であると今でも考えているから性質が悪い.じゃあ,僕の学生は授業に出なかったり,卒論・修論に打ち込まなくてもいいのかといえば,「授業に出てしっかりと勉強しなければならない」のである.それは何故か?それは「時代が変わった」からである.時代が変わってしまったので,学生も教員もそれに合わせて構造改革を行わなければならないのである.

■僕が学生だった頃から現在に至るまでにの中での大きな変化は何か?それは1)デフレの進行と2)インターネットの普及である.

■バブルが弾けて景気が後退して以降,デフレが進行している.デフレにはいろいろな側面があると思うけれども,現在,日本で進行しているのは,これまで無駄に贅肉をつけたところをそぎ落として同質のものを提供しようとしているのだと思う.複数の中間搾取者がいれば,それらをスキップする.できるだけ安く生産できるものを探す.などなど.そして,雇用に関してはどうなっているかといえば,できれば能力のある若い人を中途採用で雇い,歳をとれば退場いただく.そしてこの構造は次に説明するインターネットとリンクして日本だけの話でなくて世界的な枠組みでの話しになっている.なので,学生は,技術習得が迫られているし,今 技術がなくても,将来的に技術が習得できることが必須になっている.

■インターネットは本当に素晴らしいものであった.素晴らしいものでありすぎたために,急速すぎる勢いで普及した.情報の提供が個人レベルで非常に簡単にできるようになってしまった.そのため,英語がますます重要になってしまった.英語だけではない.アメリカ的なやり方もデファクトになりつつある. ちょっとアメリカはその勢いでいいきに成りすぎているようも思えるけれど.もう一つ重要なことは,インターネットの普及により,技術の進歩のサイクルは明らかに速度を上げたことだ. そのため,必要な技術や知識などが増大している. そしてそのスピードはもはや,きらいなんだけど仕方がないからやらなきゃじゃ追いつかない速度になっていて,興味があったり好きでなければやってられない側になっている.

■今後もどのように変化していくのかわからないけれども,この流れはますます加速するのであろう.だから大学院へ進学すればきっちり学習していかなければならないし,社会人になっても学習の継続が要求されるのであろうし,就職の際にはその仕事のやり方と本当の対象が好きかどうかが要求されるのであろう.そして,確かに僕は学生の時には授業にでなかったけれども,今の時代に教員になったからには,すべての学生が授業に参加して意味のある授業を提供できるようにしなければならないのである.と,これを機に決意表明をしてみる.