本当にいやな季節です.梅雨のことを考えるだけで,帰国するのが億劫になります.(それだけではないのですが.)
ここノックスビルは,6月に入るともう「夏が始まったなあ」という感じになります.私が住んでいるUniveristy Housingの敷地内にあるプールも5月末からオープンしています.子供たちは嬉々として毎日,泳ぎにいっています.また,9時頃まで明るいので,サッカーをする人,バスケットに興じる人,テニスをする人などなど,本当に良い季節です.
大学も6月の半ばから,サマーコースが始まります.夏の学期中は企業のインターンシップにでかける人もいるでしょうし,夏休みを満喫している人も多いでしょう.そのため,春や秋学期ほど,学生らしき人は見受けられません.それでも残って授業を受けて頑張っている人もいるのです.夏のキャンパスといえば,秋学期からどの大学へ進学しようかと考えている高校を卒業した学生さんとその両親のためのキャンパスツアーや,バスケット,チアリーディング,陸上などなどのサマーキャンプの参加者が目につきます.日本の私の大学もこういったことに力を入れる必要があるのではないかと思わせるものの一つです.
そして,ノックスビルの夏の風物詩が夕方にやってくる「夕立」です.夕方にやってくるので夕立なのでしょうが,夕立という単語から想像される生半可なものでなく,多くの場合が,「雷雨」です.たまに停電になったり,ネットワークが切れたりと困ったことになります.
「またThunderstormだよ」とぼやいているわけなのですが,それとは裏腹に,しだいにノックスビルがお気に入りの場所になっているのですが,その要因の一つに,このように四季がはっきりとしていることが,日本人の私に合っているのかもしれません.
Earth Simulatorが完成し,世界に衝撃を与えたこと.アメリカを中心にイラクを攻撃したこと.アジアでのSARSの蔓延.などなど.
そして,昨年来の変化の一つとして,日本でも”ブロッグ”が急速に普及したことがあげられるのではないでしょうか. ブロッグとは,"web log"の略を語源に持ち,他のウェブページにリンクを貼り,気になるページを紹介したり,そのページを参照しながら意見を述べたり,ページにかこつけて自分の身の回りのできごとを紹介するウェブページの一形態でしょう.
bloggerやMovable Type といった優れたツールが出現したことによって,どこかの新聞社のサイトや雑誌に匹敵する見た目を持つページが誰でも手軽に作ることが可能になったことが近年の普及の大きな要因でしょう.
また,9.11のニューヨークでのテロ事件の直後に,ウェブで相互参照をしながら多くの人が意見を発したのが普及の引き金になったと言われています.イラクでの戦争でもブロッグが重要な役割を果たしたと言われています. ただ,まあ,所詮ウェブページなのですから,「掲示板」や「ウェブ上での日記」と何が違うのか,「これはブロッグではない」といった議論は定期的に沸き起こってくるわけです.
また,面白いところでは,「ブロッグ」ではなく「ウェブロ」と呼ぼう とか「ブログという単語がはずかしい」 といった意見が示すように,日本語としてイマイチだと感じている方も多くいらっしゃるようです.
私はブロッグの一つの特徴として,自分の意見なり情報なりを,他にプッシュしていくところがあるのではないかと思っています.ですから,新聞なり雑誌なりと比較されて個人が発刊する新しいメディアの形態だと言われることもあるのだと思います. かたや日記は基本的には,自分に対する内向きなものです.じゃあなんでウェブで公開しているんだというところは微妙なところですが,読者の存在はぼんやりあるにしろ,日記は積極的に意見などをプッシュしません. だからこそ,意見を人に提示したり,議論したりするのが苦手だといわれている「日本人にはblogよりも日記の方が向いている」のでしょう.
このようにブロッグには意見のプッシュがあるので,時に各人のブロッグ間で議論がわきおこることがあります.これがおもしろいところの一つです. 同一の掲示板内で議論が行われるのではなく,個人個人のブロッグ内で,意見が述べられ,それが引用され,また発展し,新しい人が参入しさらに発展していくわけです. 別の人が,関連のブロッグをまとめるブロッグを作ったり,その際に,wiki という誰でも書き込み可能な不思議なツールが効力をはっきしたりとおもしろい側面がいくつもあります.
「最近の議論」としては 最近では,
などがブロッグ間を駆け巡りました. 作成している本人は日記だと思っていても知らず知らずのうちに,強力に他にプッシュしているために,ブロッグ的な性格を持ち,結果としてブロッグ的な振る舞いをしてしまうこともあったことが別の意味で興味をひきました.
山形 浩生さんの「CIA と情報処理」という文章 に
実際に使える役に立つ情報ってのは、九割は秘密でもなんでもない、公開情報なんだよ。ところがいまのCIAはその公開情報を集める手段をぜんぜん持っていない。 「今後、CIAは情報というものに対する考え方を変える必要がある。公開情報にどう取り組むか、そして自分たちの情報解析と情報公開をどうするか、徹底的に考え直さないとダメだ」
という話があります. きちんと情報を集めて整理すれば見えてくることも,何もしないために見えないことがあります.そして,その情報の整理と提示をブロッグがやってくれることもあるのです.
山根 信二さんが自身のページで「技術者がプライバシーについて議論し,技術的にどこをどうすればいいのかを判断した例」として Keith Moore のInternet Draft を挙げられていてびっくりしました. Keith Mooreは私の隣の隣の隣に住むICL の住人なのです. なのですが,これまで,ほとんど彼とは口を聞いたことはないし,発表もあまり見たことがなかったために,まったくの謎な人物だったのです.ネットワークとセキュリティにうるさいMSの嫌いなおじさんという印象だったでしょうか.その人の情報がいきなり,日本からやってきたのです.このページで初めて彼が重要人物であることを知りました. まさにブロッグさまさまです.
そうこうしていると高木さんの日記の追記に
Keith Moore氏は、なんと、Jack Dongarra先生のところの方だったのですね。
という文章が載りました. そうです.そうです.Keith MooreはICLの人で僕も一応ICLの住人です.ドキドキしました.
続いて,「覚悟はできてますか? - トンでもなく高価なIPv6」 のページでもKeithが登場します. Keith Mooreが熱い.そして,5m以内の住人の情報を日本経由で知ることになる.良い時代になったものです.
日本では,技術者はそのような判断をするものではないとか,できないといった考えをもった人が多くいることが議論の背景にあるようです. 確かに,日本では技術者は本当に”技術”だけを取り扱い,プロトコルや法律といったことは別の人,特にお役人が決めるという意識があることはぬぐえません.
このことについてKeithにインタビューしてみたのですが,彼がこのインターネットドラフトを書いた動機は,
「その当時のポジションがそのような問題提示と解決をすることができる立場にいたから当然のこととしてやったのだ.」
ということでした.そして
「IETFは政府とは独立したグループであり,そういう問題提示と解決を行うことも目的の一つなのだ.」
ということでした.
これは,日本とアメリカにおける政府に対する姿勢が根本的に違うことも,要因の一つでしょう. 技術者というのはよいものを作りたいという本能があります.その技術に関連する問題も把握します.解決したほうがよいのは当然でしょう. そうした場合,それを個人の問題だと意識して,積極的に対処する方法がアメリカにはあると感じました. 一方,日本ではやはり一般人だと何かに頼ってしまう.特に,できないと知っていても,政府・官僚に頼ってしまう部分があるのではないでしょうか. イラク戦争の時には,反戦運動に参加したり,反戦の気持ちを持った人が日本には多かったと聞いています.アメリカの手助けをする日本政府はけしからんと思った人も多いでしょう.以下は極論ですが,それを選んでいる/選んだのは自分たちで,そうしたのは自分たちの問題と責任であると自覚していた人は多いのでしょうか.戦争が終結してもなお自分たちの問題を継続して解決しようとしているでしょうか.次はしっかりやってよねとまかせっきりになっていないでしょうか.
Keithへのインタビューで彼は直接には言いませんでしたが,「できることをできるだけやるのだ.」という姿勢も感じ取れました. 高木さんが指摘されている”匿名アドレスをどうやって使うのか?”といった問題には明確に解答を持っていませんでした. メイルのスパムの対策を採るためには発信の身元がわかる静的なアドレスが必要となる.でも,それだと個人のトレースを行うことも可能となる. そこにはトレードオフがあるであろう. でもどうやってどこに落としどころがあるのかといった解答はまだ先のようです.上記にあげた「覚悟はできてますか? - トンでもなく高価なIPv6」の中でKeithはIPv4をIPv6に変えることの正当性をバックアップするアプリケーションが挙げられていないと述べられています.きっとKeithも「今はそういうアプリはないんだよなあ」とニヤニヤして言うでしょう.しかしながら,IPv6の良さは説明し,問題点は解決するでしょう.一方で,IPV6の利用を無理やり他人に押し付けようとしているのではないのではないかと思われます.それは彼が技術者であり,できることをできるだけやる人だからでしょう.