門が閉まりそうである

門をくぐりたければ、門が開いている時間にやってこなければならないのではなかろうか。もしくは、閉まっている門は叩かなければならないし、しまりそうな門は開けてくれと言わなければならないのではなかろうか。もし、その門をくぐりたければ。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすればあけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門を叩く者はあけてもらえるからである。あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。

マタイ福音書7章7
門をくぐりたければ、門が開いている時間にやってこなければならないのではなかろうか。もしくは、閉まっている門は叩かなければならないし、しまりそうな門は開けてくれと言わなければならないのではなかろうか。もし、その門をくぐりたければ。
通りたいのは旅行者で、閉めているのは門番である。旅行者が閉めたりあけたりしているわけではない。そのためには、旅行者は門番がどのようなルールで門を開けたり閉めたりしているのかを知る必要があるだろう。17:00に門番は門を閉める。夕方になったからである。門番は門を閉めてうちに帰る。門を通りたい旅行者はどうするのか。17:00より前にくればよいのだ。ある旅行者は17:00に門が閉まるのを知っていた。けれども、友達の彼女が花摘みに行こうというのでつきあったら、17:00を過ぎた。門は閉まっていた。次の日、起きたら17:00を過ぎていた。門は閉まっていた。そしてその次の日、雨が降っていたので門には行かなかった。そしてその次の日も、その次の日も、17:00よりも前に門にたどりつかなかった。けれども旅行者は、その門を通りたいのだと言う。
あるところに門を通りたいという旅行者がいた。門番は門をあけて待っていた。旅行者はこなかった。門番は門を閉めて旅行者に会いにいった。門を開けておいた方がよいのか門をしめてもよいのかわからないからだ。旅行者は、もっと後にいくよと言った。門番は門をあけて待っていた。後になっても旅行者は来なかった。門番は門を閉めて旅行者に会いにいった。せめて、いつ来る予定なのか教えてほしいと門番は言った。それはわからないと旅行者は言った。けれども旅行者は、その門を通りたいのだと言う。門番は旅行者のことを忘れることにした。
旅行者は門番に門を閉めると人が通れないという。確かにその通りである。それでも門を閉めたり開けたりするのは門番で、通れないのは旅行者である。通りたければ門が開いている時間にやってこなければならない。もしくは閉まっていれば開けてくれと頼まなければならない。門が閉まっていると旅行者はいった。確かに門が閉まっている。でも、通れないのは旅行者だ。けれども旅行者は、その門を通りたいのだと言う。
目の前にたたけば開く門がある。門番が開けてくれるのだ。門がしまりそうである。たたけば開く門である。それでも旅行者はしまりそうな門に気づかない。閉まってから考えることにしているからだ。閉まった門が目の前にあると旅行者は通れない。けれども旅行者は、その門を通りたいのだと言う。
門番は、門を閉めようとしていたら向こうから旅行者がやってくるのが見えた。今からだと17:00を少し過ぎそうだ。門番は気を利かせて門を開けて待っていた。旅行者は門を通ることができ次の街へたどり着いた。旅行者は次の街で門番が17:00に門を閉めなかったことを告げて、門番は100たたきの刑にあった。
門番は、門を閉めようとしていたら向こうから旅行者がやってくるのが見えた。今からだと17:00を少し過ぎそうだ。門番は気を利かせて門を開けて待っていた。旅行者は門を通り過ぎた。そして、門があることに気づかなかった。旅行者は次の街にたどり着き、予定通りの旅ができて満足した。
門番は、門を閉めようとしていたら向こうから旅行者がやってくるのが見えた。今からだと17:00を少し過ぎそうだ。門番は気を利かせて門を開けて待っていた。その日、残暑が厳しく夕日がまぶしかった。旅行者は、門番になぜ日傘をかさないのかと悪態をついた。門番が立派な日傘を持っていたからである。
門番は朝になると門をあける。たくさんの人が行き交う。夕方になると門を閉める。閉まった門は通ことができない。