脱炭素社会の実現に向けて、電力の効率的な利用が世界的な課題となっている今、日本の大学発ベンチャーが革新的な技術で注目を集めています。立命館大学発のスタートアップ「パテンティクス(Patentix)」が開発する次世代パワー半導体技術は、従来の常識を覆す可能性を秘めており、2025年10月には約7億円の大型資金調達を実現するなど、その将来性に期待が高まっています。
ある方にこの会社のことを教えていただいたいのですが、なんともすごそう。
gensparkにまとめてもらいました。
脱炭素社会の実現に向けて、電力の効率的な利用が世界的な課題となっている今、日本の大学発ベンチャーが革新的な技術で注目を集めています。立命館大学発のスタートアップ「パテンティクス(Patentix)」が開発する次世代パワー半導体技術は、従来の常識を覆す可能性を秘めており、2025年10月には約7億円の大型資金調達を実現するなど、その将来性に期待が高まっています。
ある方にこの会社のことを教えていただいたいのですが、なんともすごそう。
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Internet3は、従来のインターネットが抱えるセキュリティとコストの根本的な問題を解決する革新的な次世代インターネット技術です。コネクトフリー株式会社が独自開発したこの技術は、世界初のサーバーレス暗号通信を実現し、インターネットの未来を変える可能性を秘めています。
ある方から教えていただいたので、gensparkにまとめてもらいました。
続きを読む
Sora 2 is here
https://openai.com/index/sora-2/
OpenAIが9月30日に発表したSora 2は、まさに動画生成AIの「GPT-3.5モーメント」と呼べるような転換点かもしれません。初代Soraが「GPT-1」だとすれば、今回のSora 2は「GPT-3.5」に相当する飛躍的な進歩を遂げていると言っている人もいます。
Sora 2では物理法則の正確な再現が可能になりました。バックボードに当たったボールが自然に跳ね返る。無理やり”成功”させるのではなく、”失敗”もリアルに表現できる。これは大きな進歩です。
9月30日にAnthropicから発表されたClaude Sonnet 4.5は、正直なところ驚きでした。何がすごいって、30時間以上にわたって複雑なタスクに集中し続けることができるというのです。
これまでのAIは、長時間のタスクになると「集中力」が途切れがちでした。でも、Claude Sonnet 4.5は違う。まるで研究に没頭する大学院生のように、一つの問題に長時間取り組み続けることができるのです。
長時間思考能力の実現は、AI研究における重要なブレークスルーです。従来の注意機構(Attention Mechanism)の限界を超えて、持続的な推論能力を獲得したということになります。これは、単なる技術的進歩を超えて、AIの「知的集中力」という新しい次元を開拓したと言えるでしょう。
機能 | 従来のAI | Claude Sonnet 4.5 |
---|---|---|
連続思考時間 | 数分~数十分 | 30時間以上 |
コーディング能力 | 断片的な支援 | 大規模プロジェクト全体を把握 |
エージェント機能 | 単発タスク | 複雑な多段階タスク |
同じく9月30日、OpenAIが発表したSora 2も、これまた衝撃的でした。動画生成AIはもう珍しくないですが、音声付きで、しかも自分の顔を動画に合成できるというのは、まさに次元が違います。
実際に使ってみると分かりますが、生成される動画の自然さには本当に驚かされます。「これ、本物の映像?」と思うほどです。
9月23日に発表されたPerplexity Email Assistantは、地味やけど実はめちゃくちゃ実用的な発表でした。GmailやOutlookと連携して、メールの自動分類、返信作成、スケジュール調整まで行ってくれるのです。
これまでのAIアシスタントは「質問に答える」のが主でしたが、Email Assistantは「代わりにやってくれる」のが大きな違いです。月額200ドルのPerplexity Maxユーザー向けですが、その価値は十分にあると思います。
今回の3つの発表を俯瞰すると、AIの発展における3つの重要な方向性が見えてきます。
AIの思考能力の「深さ」と「持続性」を追求。単発の回答ではなく、長時間にわたる集中的な問題解決能力を実現。
映像、音声、テキストといった異なるモダリティを統合し、より自然で包括的なコンテンツ生成を実現。
AIを日常業務に深く組み込み、「使えるAI」から「頼れるAI」への転換を図る。
正直なところ、今回の発表群を見て感じるのは、AI技術の進歩があまりにも速すぎるということです。良い意味でも悪い意味でも。
2025年9月は、確実にAI史における重要な分岐点として記録されるでしょう。Claude Sonnet 4.5の長時間思考、Sora 2の統合的生成能力、Perplexity Email Assistantの実用性向上。どれも、AIが「道具」から「パートナー」へと変化していることを示しています。
大学の研究現場でも、学生たちがこれらのAIを使いこなす姿を見ていると、「時代は確実に変わったなあ」と実感します。でも大切なのは、AIに任せることと、人間がやるべきことを適切に見極めることでしょう。
チャッピーやgenちゃんのようなAIアシスタントと一緒に仕事をしていると、「これからの時代は、AIと上手に付き合える人が強い」と思います。技術を恐れるでもなく、盲信するでもなく、適切な距離感を保ちながら活用していく知恵が求められているのでしょう。
さて、次の月はどんな驚きが待っているのでしょうか。AI業界の動向から目が離せません。
『IDE現代の高等教育』No.673特集「学生の変化をどう活かすか」がえらく面白かったです。
チャッピーとgenちゃんにまとめてもらいました。
僕は神を信じるものではない そして僕は祈り続ける。
今年はえらく暑い。
今年も暑いのかもしれない。
頭を下げているだけでも暑い。
最近はやけに平和のありがたさを感じることができるほど、戦争が身近になっている。
口先だけなのか、本当にそう思っているのかやろうとしているのか、見抜くのは本当に難しい。
子どもに押し付けてやらせるのも気に食わない。
そして今年も祈る。
ふと最近、MPI触ってないなあと感じ、チャッピーに調査してもらいました。
ちゃんとフォローして、その真偽を確かめたいところですね。
夏ですね。
夏といえば、宇宙を見上げることも多いのではないかと思います。
また、
週末に経済学部 OB・村山昇作氏が、香川に 天体望遠鏡博物館というのを立ち上げたという話を聞きました。
チャッピーにまとめてもらいました。
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今週末は、福井に行くので少々、勉強中。
JALの方から破綻と再建のお話を聞きました。
それをもとにレポートしました。
2010年、日本航空(JAL)は約2.3兆円の負債を抱えて経営破綻した。 「JALでも破綻するのか」という衝撃は、日本中に大きなインパクトを与えた。 国を代表するインフラ企業ですら破綻する現実を目の当たりにし、 多くの人が「危機感とは、危機が来て初めて芽生えるものだ」と痛感した。
本レポートでは、JALの破綻と再建の過程を振り返りつつ、 「なぜ破綻まで危機感を持てなかったのか」 「破綻寸前の組織に何ができるのか」 「再建後に再び緩んでしまうのはなぜか」 という問いを通して、組織改革の本質に迫る。
以下のような状態が社内に蔓延していた:
問題点 | 説明 |
目的の共有がない | 会社として「何のために存在するか」が曖昧 |
一体感がない | 部門間がバラバラ、連携なし |
ダメなのが他人事 | 課題があっても誰も責任を取らない文化 |
収益の感覚がない | 自部門が赤字かどうか把握していない |
JALの教訓から、破綻前の段階でも取り得る対策を以下に整理する。
対策 | 内容 |
仮想破綻体験 | 「もし会社が死んだらどうするか」を気づくワークショップを実施 |
損益の可視化 | 組織を小型化し、自分たちの活動の現実を直覚 |
統同目的の再定義 | 「なぜこの組織が存在するのか」を語り直す |
情報の流通と声の橋渡し | 現場の声を経営に届けるルートを作る |
聞こえないものを終わらせる勇気 | 保護されている会社文化や習慣を改革する気様 |
JALは破綻後、立て直しに成功したが、最近は再び「元に戻りつつある」「緩んできた」という指摘が上がっている。
実務 | 内容 |
理念を再体験させる | 読み合わせより、それを現場で語り直す場を絶えず設ける |
実質的な対話の保持 | 経営層と現場の集中フィードバックの場を絶えず保つ |
毎年シミュレーション | 「もう一度破綻したら」を願設して考えさせる |
新たな目標を定義 | 「再復」の次に、この組織が目指す未来像を定義し相談を経続 |
「JALでも破綻するんだ」という衝撃は、組織として、個人として、大きな学びをもたらした。 本当の危機感とは、「自分ごと」としての責任と気づきがないと生まれない。
しかしその危機を「実際に許さなくても」、「意図的に体験する」ことで救える組織もある。 JALは一度は破綻してしまったが、そこから学べることは、他の多くの組織を救う矩網となるだろう。
本当の変革とは、「変わり続ける力」を文化として根づかせることである。
同志社大学では、2020年度から「Comm 5.0 AI・データサイエンス副専攻プログラム」を開始しました。
この「Comm 5.0」とは、新たなCommunication(コミュニケーション)とCommunity(コミュニティ)を総称した概念です。AIやデータサイエンスの知識と技術を駆使して、このComm 5.0の世界を構築できる人材――すなわち「Comm 5.0アーキテクト」を育成することが、この副専攻プログラムの目的です。
現代社会では、AI・データサイエンスが日常のあらゆる場面で活用されるようになり、ヒトとヒトとの関係のあいだに「モノ(テクノロジー)」が深く入り込むようになりました。それらは利便性を高める一方で、社会的分断を助長する可能性も孕んでいます。だからこそ、私たちは「ヒト」と「モノ」との新たな共生の在り方を模索する必要があります。そうした時代認識のもとに、このプログラムは設計されました。
Comm 5.0プログラムには、以下の4つの特色があります。
AI・データサイエンスの応用力を育成するプログラム
「ALL DOSHISHA」による文理横断型の教育プログラム
社会が必要とするイノベーションを創出するプログラム
社会との接点を重視する「ミッション研究」型プログラム
ここで学ぶのは、単なる理系的な技術の習得にとどまりません。哲学・倫理・そして「良心」について学ぶことが、むしろこのプログラムの核となっています。「人を知る」ということが、AI時代における本質的な問いとなるからです。
NHKで『知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?』という番組が始まりました。第1回のテーマは「AIは人間を超えるか」。そこでは、AIをつくることの本質とは「人を知る」ことであり、それ自体が哲学的な営みであると語られていました。
思わず、「これ、Commプログラムじゃないか」とつぶやきたくなったほどです。
世間的にはあまり好意的な評価を受けてこなかったかもしれません。しかしこのプログラムは、まさに時代の要請に応える形で生まれたものであり、先見性と意義を持った取り組みであったことは間違いありません。今だからこそ、その価値がよりはっきりと見えてきたと言えるでしょう。
新島襄は京都の同志社設立後も、ほぼ全国を伝道行脚した。津山はその訪問地の一つであり、馬場種太郎がキーパーソンとして重要な役割を果たしたのである。
1884年(明治17年)8月、新島襄は津山を訪問した。これは同志社の神学生である馬場種太郎との出会いがきっかけであった。津山伝道所が1884年に設置されており、新島襄はここで馬場種太郎と出会ったのである。馬場種太郎は同志社神学生として「夏季伝道」のため津山に派遣されており、キリスト教伝道者として活動していた。馬場種太郎は「少しも布教〔伝道〕の労を惜しまず、落合、勝山と日夜、東奔西走する」など、津山周辺地域での伝道活動を精力的に行っていたのである。
津山地方では1884年(明治17年)に講義所が設けられた。木庭勝次郎や上代知新により伝道が行われ、同志社の神学生であった馬場種太郎が協力した。新島襄の指導下で、津山を拠点とした美作地方へのキリスト教伝道が組織的に展開されたのである。
新島襄は津山以外にも岡山県内を広く訪問しており、特に1880年(明治13年)2月17-20日には備中高梁を訪問し、講演会を開催した(初日約300人、2日目約400人が参加)。落合、勝山では馬場種太郎の活動を通じて間接的に影響を与え、岡山市では金森通倫を通じてキリスト教伝道のネットワークを構築したのである。
新島襄の津山訪問は、彼の「旅する知」の実践の一環として、以下の重要な意味を持っている。まず、地方伝道の組織化である。同志社の神学生を各地に派遣し、キリスト教伝道の全国的ネットワークを構築したのである。次に、知識の地域展開である。欧米で学んだキリスト教思想を日本の地方都市に伝播させたのである。そして、人材育成である。馬場種太郎のような地方伝道者の指導・支援を行ったのである。新島襄の津山訪問は、彼の全国的な伝道旅行の一部として位置づけられ、明治期のキリスト教伝道史において重要な足跡を残しているのである。
馬場種太郎は、明治時代に活躍したキリスト教伝道師で、同志社英学校の卒業生である。また、竹内種太郎とも呼ばれており、これは後に竹内家に養子として入籍したためと考えられる。
1885年(明治18年)6月に同志社英学校邦語神学科を卒業し、同志社在学中に新島襄の教えを受け、深い影響を受けたのである。
馬場は1863年11月11日に岡山県牛窓町(現瀬戸内市牛窓)に生まれ、長じて県内香登に住む叔父(馬場筆吉)に引き取られた。同地ではキリスト教に触れる機会があり、1881年ころに岡山教会(金森通倫牧師)でJ・H・ペティー(岡山在住のアメリカン・ボード宣教師)から洗礼を受けたのである。このように金森通倫とは非常に深いつながりが見られる。
新島襄の推薦により、死亡した辻元伝道師の後任として札幌に派遣された。1888年(明治21年)頃から札幌独立教会(後の札幌基督教会)の伝道師として活動し、牧師の大島正健とともに、札幌基督教会の最も活発な時期を築いた。1888年(明治21年)から1893年(明治26年)頃まで活動し、札幌基督教会の発展に大きく貢献したのである。竹内文と結婚し、2人の男児(俊彦と謙)をもうけた。
新島襄は馬場種太郎を「同志社系の伝道者として札幌伝道を開始するのに最適の意中の人物」と評価し、新島襄から直接推薦を受けて札幌に派遣されたのである。新島襄とは書簡のやり取りがあり、現在も同志社大学に資料が保存されている。
札幌独立キリスト教会と新島襄の最も重要な関係は、大島正健の按手礼問題を通じて形成された。大島正健は札幌独立キリスト教会の実質的な初代牧師でありながら、正式な按手礼を受けていなかった。そのため、洗礼や聖餐の儀式を司ることについて、他の教派から批判を受けていた。これは独立教会の存立にとって深刻な問題であった。1888年(明治21年)、この問題の解決策として、新島襄と植村正らの好意により、大島正健は按手礼を受けることができたのである。
新島襄は札幌独立キリスト教会の要請に応じて、同志社出身の馬場(竹内)種太郎を伝道師として派遣した。馬場は恩師新島の推薦を受けて札幌に赴任し、大島正健を支援し、教会の発展に貢献した。「信者一同大満足」と評価されるほど、札幌独立キリスト教会と新島の期待に十分応える働きをしたのである。
新島襄は札幌独立キリスト教会の「自由主義」を支持する立場から、教会の諸問題に助言を行った。札幌独立キリスト教会は、教派から独立した日本初の独立教会として歴史的意義を持っていた。新島襄はこの教会の独立性と自主性を理解し、支援したのである。
新島襄と札幌独立キリスト教会の関係は、大島正健の按手礼問題を契機に始まり、人材派遣、教会運営への助言、精神的支援など、多面的で継続的な関係に発展した。この関係は、教派を超えた協力と、日本的キリスト教の発展を支援する新島襄の広い視野と愛の実践を示す重要な歴史的事例として位置づけられるのである。
馬場種太郎の妻は、竹内文(たけうち あや)という女性である。竹内文は1868年、津山市(旧美作国)で生まれた。1884年に神戸英和女学校(現在の神戸女学院)に入学し、翌年キリスト教の洗礼を受けている。
1889年に札幌独立教会で伝道師を務めていた馬場種太郎と結婚し、札幌で新婚生活を始めた。1893年、種太郎が病没し、文さんは二人の子どもを抱えて未亡人となったのである。1894年に津山へ戻り、自宅で裁縫塾を開いた後、1897年には女学(女子教育)の私塾を設立し、英語や体操、賛美歌などを教えた。1899年には学校として認可された「淑徳館」を運営し、女子教育に尽力した。子育てと教育を両立させながら、教壇に立っていたのである。
1892年に京都で長男の謙さん(のぶる)を出産した。謙さんは後に津山→東京へ移り、早稲田大学理工学部へ進んでいる。竹内文は1921年に没している。竹内文さんは、馬場種太郎没後も教育に情熱を注ぎ、津山で女性たちの教育・自立に大きく貢献した人物である。彼女の活動は地域の教育史においても重要な役割を果たしているのである。
竹内文は1897年(明治30年)に津山で女学塾を始め、まずは裁縫中心の私塾として開校した。その翌年、1898年に文部省から「淑徳館」として正式に認可を受けたのである。裁縫を主軸としながらも、以下のような幅広い教育内容を提供していた。毎朝の賛美歌、体操にはダンスを導入、家事や育児の授業時間を確保、英語も竹内文自身が担当するなど、伝統と実用を融合した先進的なカリキュラムであった。1901年(明治34年)、薄田泣菫(明治期の女性歌人)が励ましに訪れるほどの評判で、地域の教育活動に大きく貢献したのである。1901年に県立津山女学校(現・公立高等女学校)が設立され、1903年(明治36年)に開校した。これに伴い、淑徳館は閉校し、竹内文は東京へ移ったのである。竹内文は1921年(大正10年)にこの世を去った。竹内文が設立・運営した淑徳館は、津山の女子教育史において重要な存在であり、教育内容の幅広さや地域からの評価は非常に高かったと言えるのである。
新島襄(1843-1890)は、単なる教育者や宣教師を超えた、まさに「旅する知」の実践者として、明治日本の近代化に大きな影響を与えた人物である。彼の生涯は、知識の探求と拡散のための継続的な旅路そのものであった。本稿では、新島襄の帰国後における旅行体験と、それを通じた知識の獲得・拡散活動について考察する。
帰国後、新島は故郷の安中で日本初の本格的なキリスト教伝道を開始した。「21歳で渡米しキリスト教徒となり、帰国後父母の住む安中へ帰郷し、キリスト教を伝道した」のである。龍昌寺を借りて説教を行い、後に日本キリスト教団安中教会の設立につながった。この活動は、海外で得た宗教的知識を日本の地方に根付かせる「知識の地域展開」の実践例であった。
新島は京都の同志社設立後も、「ほぼ全国を伝道行脚し」た。これらの旅行は、単なる宣教活動ではなく、欧米で学んだ教育理念や近代的思考を日本各地に広める知識拡散活動であった。「京都をはるかに越えて各地に奔走した生涯であった。旅行先の神奈川県大磯で逝くことになったのも、それを象徴している」のである。
新島は1887年(明治20年)、妻八重とともに函館を訪れた。この旅行は、かつて脱国した思い出の地を再訪することで、自らの知識獲得の軌跡を振り返る意義深い体験であった。「7月3日に到着した函館で、襄は八重を連れて国外脱出した思い出の埠頭を訪れ、当時のことを話して聞かせた」のである。また、遺愛女学校の宣教師館を訪れ、「外国人宣教師たちと食事をして」おり、これは国際的な教育ネットワークの構築・維持活動でもあった。
同年8月25日、新島夫妻は札幌で「女学校開業式」に参列した。「たまたま札幌に避暑に来ていた新島襄夫妻も参列している」のである。この参加は、女子教育の発展を全国規模で支援する知識のネットワーク形成を示している。
1884年(明治17年)8月に、新島襄は津山を訪問した。これは同志社の神学生である馬場種太郎との出会いがきっかけであった。津山伝道所が1884年に設置されており、新島襄はここで馬場種太郎と出会った。馬場種太郎は同志社神学生として「夏季伝道」のため津山に派遣されており、キリスト教伝道者として活動していた。馬場種太郎は「少しも布教〔伝道〕の労を惜しまず、落合、勝山と日夜、東奔西走する」など、津山周辺地域での伝道活動を精力的に行っていた。
津山地方では1884年(明治17年)に講義所が設けられた。木庭勝次郎や上代知新により伝道が行われ、同志社の神学生であった馬場種太郎が協力した。新島襄の指導下で、津山を拠点とした美作地方へのキリスト教伝道が組織的に展開された。
新島襄は津山以外にも岡山県内を広く訪問しており、特に1880年(明治13年)2月17-20日には備中高梁を訪問し、講演会を開催した(初日約300人、2日目約400人が参加)。落合、勝山では馬場種太郎の活動を通じて間接的に影響を与え、岡山市では金森通倫を通じてキリスト教伝道のネットワークを構築した。
新島襄の津山訪問は、彼の「旅する知」の実践の一環として、以下の重要な意味を持っている:
地方伝道の組織化:同志社の神学生を各地に派遣し、キリスト教伝道の全国的ネットワークを構築
知識の地域展開:欧米で学んだキリスト教思想を日本の地方都市に伝播
人材育成:馬場種太郎のような地方伝道者の指導・支援
新島襄の津山訪問は、彼の全国的な伝道旅行の一部として位置づけられ、明治期のキリスト教伝道史において重要な足跡を残している。
1890年1月、新島は群馬での募金活動中に体調を崩し、神奈川県大磯で逝去した。「旅行先の神奈川県大磯で逝くことになったのも、それを象徴している」のである。文字通り最後まで「旅する知」を実践し続けた生涯であった。
新島襄の「旅する知」の実践は、以下の点で現代にも通じる重要な示唆を与えている:
知識の境界越え:国境、宗教、文化の境界を越えた知識の探求と統合
実践的知識応用:獲得した知識を具体的な社会改革に活用
知識の民主化:エリート層に限定されがちな知識を広く社会に拡散
継続的学習:生涯を通じた知識の更新と再構築
ネットワーク形成:知識を媒介とした国際的・全国的なネットワーク構築
新島襄は、単なる知識の消費者ではなく、積極的に知識を探求し、実践し、拡散する「旅する知」の真の実践者であった。彼の生涯は、知識が単なる個人の資産ではなく、社会全体の発展に寄与する公共財であることを実証した、明治日本における知識社会の先駆的モデルといえるのである。
新島襄は、中世ヨーロッパの scholares vagantes(放浪学生)の精神を19世紀の日本において体現した、極めて稀有な存在である。彼がアメリカで乗船した「ワイルド・ローバー号」(Wild Rover)という船名は、まさに「野生の放浪者」を意味し、彼の生涯を象徴する偶然の一致であった。
新島の海外体験は、1864年から1874年にかけての10年間にわたる「知的放浪」として展開された。1864年に函館港からベルリン号で脱国し、翌1865年には上海でワイルド・ローバー号に乗船してボストンに到着した。その後、フィリップス・アカデミーでの準備教育(1865-1867年)、アーモスト大学での学部教育(1867-1870年)、そしてアンドーヴァー神学校での神学修士課程(1870-1874年)を経て、アメリカの大学を正規に卒業した最初の日本人となった。
新島は物理的な旅を行っただけでなく、精神的な旅をも実践した人物である。彼のキリスト教への回心は、単なる宗教的転向ではなく、「旅する知」の核心的体験であった。同志社大学の教育理念によれば、新島は「9年間におよんだ欧米での生活を通して、キリスト教、とくにプロテスタントが文化や国民に与えた精神的感化がいかに巨大であるかを体得して帰国した」のである。そのひとつが「良心」であり、これは「人間の目」ではなく、「神の目」を意識して初めて芽生えるものであった。
1871年、新島は岩倉使節団の通訳として公式に日本の近代化に関与し、知識の国際的移動における重要な役割を果たした。彼が同志社で実践した教育理念は、「旅する知」の制度化そのものであった。西洋のキリスト教精神を日本の教育に移植し、「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)」の育成を目指した。
新島の教育理念には、倜儻不羈(てきとうふき)の精神が貫かれている。これは「才気がすぐれ、独立心が旺盛で、常軌では律しがたい」精神を意味し、中世の “libertas scholastica”(学問の自由)の現代的継承である。また、「外国語を話せるだけでなく、異なる価値観を受け入れ、そこから『何か』を見出せる人を育む」という理念は、中世大学の “studium generale”(全ての地域から学生を受け入れる)の精神を体現している。
「同志社」という名称自体が、「旅する知」の精神を表現している。これは「志を同じくする者が創る結社」を意味し、国境や出身を超えた学問共同体の理念を示している。中世ヨーロッパの “universitas”(学者・学生の共同体)の精神を継承したものである。
新島が掲げた「一国の良心」の育成は、中世の “universitas magistrorum et scholarium”(師弟の学習共同体)の現代的発展形であった。彼は「一つの国を維持するのは決して二・三人の英雄の力ではなく、一国を形作る教育があり、知識があり、品性の高い人々の力によらなければならない」と述べ、「こういう人々が『一国の良心』と言うべき人たち」であるとした。また、「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来(きた)らん事を」という願いは、「旅する知」の国際的な拡散を象徴している。
新島襄が創始した「旅する知」の精神は、現代においても重要な意義を持っている。明治初期における国際教育の先駆性、東西文化の架け橋としての役割、権威に屈しない自由な学問精神、そして教育を通じた社会変革への責任感は、現代のグローバル教育にも通じる普遍的価値である。
新島襄の実践は、中世ヨーロッパの scholares vagantes から現代のグローバル教育まで貫く、「旅する知」の普遍的価値を証明している。知識の国境を越えた移動、異文化との出会いによる精神的成長、学習共同体の形成、そして社会変革への貢献という要素は、時代を超えて重要な意味を持つ。
新島襄は、文字通り「旅する知」を生きた人物として、日本の近代教育史における最も重要な実践者の一人である。彼の生涯と教育理念は、知識が国境や文化を超えて移動し、新しい価値を創造する力を持つことを、身をもって証明した貴重な事例なのである。
「ルネサンス(Renaissance)」は、フランス語で「再⽣」や「復興」を意味する⾔葉である。特に⻄洋史においては、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパで起こった⽂化‧芸術‧学問の⼤変⾰運動を指す。「ルネサンス」とは単なる「過去への回帰」ではなく、過去の知と精神を新たに捉え直して、未来を切り拓く創造的な再⽣の動きを意味する。
「同志社ルネサンス」とは、新島襄が創⽴した同志社の原点に⽴ち返りながらも、現代社会や未来にふさわしい新たな同志社を創造していく運動である。⾔い換えれば、「原点(建学の精神)に学びつつ、それを現代において再定義し、同志社を次なる段階へと進化させる」という意志とビジョンを込めたものである。同志社は、今もなお輝いている。だが、私たちはそこで歩みを⽌めるわけにはいかない。今を誇りにしながら、未来に向けて、さらに輝かなければならない。——それが『同志社ルネサンス』の精神である。
同志社⼤学は、新島襄が掲げた「良⼼を⼿腕に運⽤する⼈物の養成」という建学の精神のもと、⽇本の近代教育に⾰新をもたらしてきた。今なお、⾼い教育‧研究の⽔準を維持し、多様な分野で社会に貢献する⼈材を輩出し続けている。
それにもかかわらず、「さらに輝く」とはどういう意味か。それは、過去の栄光に安住するのではなく、変化する時代に応答し、未来に向けて⾃らを更新し続ける姿勢を⽰す⾔葉である。今⽇の社会は急速な技術⾰新、地球規模の課題、多様性の拡⼤といった⼤きな変化の中にある。今こそ同志社が、社会変⾰に貢献する知と実践の拠点として、より⼤きな存在感を発揮する必要があるのである。
同志社ルネサンスは、「新島襄の精神を原点として、同志社をもう⼀度新しく創り出す」ことを意味するビジョンである。「ルネサンス(再⽣‧復興)」という⾔葉は、単なる回帰ではなく、原点に⽴ち返りながらも、新しい価値を創造していく運動を⽰している。
このビジョンは以下のような柱を含む:
原点回帰と未来志向の統合:新島襄の理念に⽴ち返りつつ、次代に向けた教育‧研究‧社会貢献の在り⽅を再設計する。
学際的で国際的な知の拠点の形成:既存の枠にとらわれず、AI、⽣命科学、環境、平和などのグローバル課題に応答できる教育‧研究体制を構築する。
「良⼼」のアップデート:倫理や良⼼の意味を、現代社会に即した形で再定義し、「実践する知」として社会と共有する。
「同志社ルネサンス」というビジョンを掲げることは、次のような意味を持つ。すなわち、
⾃⼰⾰新の決意表明:同志社はすでに評価されている⼤学であるが、「このままでいい」と思った瞬間から退化が始まる。だからこそ、変わり続ける意志を⽰す必要がある。また、「同志社ルネサンス」は、⼤学が社会に対してどのように責任を果たすか、どのように信頼を築いていくかを問い直す試みでもある。さらに、学⽣、教職員、校友、市⺠といった多様な⼈々と共に、新しい同志社をつくるための旗印となる。
同志社⼤学は、これからも「輝く⼤学」であり続けるために、「同志社ルネサンス」という挑戦を選んだ。それは、伝統を誇るだけでなく、未来に責任をもつ⼤学としての、新たな⼀歩なのである。
ルネサンスはどんな時代だったのであろうか。先に述べた通り、「ルネサンス(Renaissance)」は、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパで起こった⽂化‧芸術‧学問の⼤変⾰運動を指す。この歴史的なルネサンスでは、ギリシャ‧ローマ時代の古典⽂化の再評価(原点回帰)と⼈間性の尊重(ヒューマニズム)の台頭が起こり、美術、科学、哲学、宗教、建築などの分野に⼤きな変⾰をもたらした。「⼤学が、神のための学びの場から、⼈間と社会のための創造の場へと変化し始めた」時代とも⾔える。
ボローニャ⼤学は、学⽣のギルド(ユニベルシタス)から発展したという独特な起源を持つ:
学⽣主導:運営権と⾃治権を学⽣が持っていた
教授への権限:学⽣が教授を解雇したり、講義内容に要求を出すことができた
学⻑選出:学⻑も学⽣の中から選ばれていた
中世‧ルネサンス期において「旅する知」こそが、⼤学そのものでもあった。教師も学⽣も「旅をして学ぶ」のが当たり前だった。学⽣や教授たちは、パリ、ボローニャ、オックスフォード、プラハなど、⼤学都市を横断して学び合った。「知」は都市ごとに固定されるものではなく、⾃由に移動し、議論され、影響し合うネットワークとして存在していたのである。
「流動性」こそが⼤学の⽣命線。特定の国や教義にとらわれない「普遍的な知」「国際的な対話」が、⼤学の本質とされていた。これは、現代でいうグローバル⼤学‧学際知‧リベラルアーツの原型である。
中世⼤学の最も特徴的な側⾯の⼀つが、「旅する知」の⽂化であった。中世ラテン語で「放浪聖職者Clerici Vagantes」を意味し、知識を求めて都市から都市へと移動する学⽣や教師を指していた。彼らは「学問、そしてさらなる冒険を求めて町から町へ移動する」存在であった。
(ゴリアルド):10世紀から13世紀中期にかけて活動した放浪学⽣集団。彼らは「知識と快楽の両⽅を求めて故郷から遠く旅をした」⼈々であった。
中世⼤学の「旅する知」の構造
知識の移動性:中世⼤学の真の始まりは、「特定の分野の師匠を求めて旅をする⼈々、あるいは師匠を都市から都市へと追いかける⼈々」である放浪学者の存在にあった。
教師と学⽣の流動性:学⽣は評判の⾼い教師を求めて各地を移動し、教師も⼤学間で競争があり、より良い条件を求めて移動した。ペテロ‧アベラルドの学⽣たちは、彼をメルン、コルベイユ、パリまで追いかけた記録がある。
Studium Generale(総合学府):ボローニャ、パリなどは「studium generale」として、
「あらゆる場所から学⽣を受け⼊れた」機関であった。これは地域を超えた知識の流通拠点であった。
Ius Ubique Docendi(どこでも教える権利):教皇勅書により確⽴された「どこでも教える権利」により、⼀つの⼤学で学位を取得した者は、ヨーロッパ中どこでも教えることができた。これはまさに「旅する知」の制度的保証であった。
現代への⽰唆:「旅する知」の精神
中世の「universitas」が⽰す「旅する知」の精神は以下の通りである:
知識の普遍性:国境や地域を超えて共有される知識
学習共同体の流動性:固定された場所に依存しない学習組織
知的探求の⾃由:権威や既成概念に縛られない探求精神
⽂化的交流:異なる背景を持つ⼈々の知的交流
19世紀初頭のフンボルト⼤学改⾰は、「研究と教育の⼀致」という⾰命的概念を提⽰し、現代⼤学の基礎を築いた。この理念により、⼤学が単なる知識伝達機関から知識創造機関へ転換し、学⽣が受動的受講者から能動的探究者へ発展し、近代国⺠国家における知的エリート養成システムが確⽴された。
しかし、現代社会では「研究と教育の⼀致」だけでは不⼗分になっている。社会的課題の複雑化により、気候変動、格差拡⼤、AI倫理など、学際的で実践的な解決策が必要となり、象⽛の塔的な研究では現実問題に対応できない。また、知識社会の要請により、理論知と実践知の統合が不可⽋となり、⼤学が社会変⾰の拠点として機能することへの期待が⾼まっている。
現代⼤学の新たなパラダイムとして、「研究‧教育‧社会実践」の三位⼀体構造が提唱されている。この三要素が相互作⽤することで、学びの実質化(理論が実践と結びつくことで深い理解が⽣まれる)、研究の社会化(社会のニーズが研究⽅向を導く)、社会の知的レベル向上(⼤学知が社会全体に還元される)が実現される。
現代において、国境を越えた知の交流を促進するためには、トランスナショナルな知識空間の構築が不可欠である。その実現に向けては、以下のような多角的な取り組みが求められる。
まず、物理的移動の復活が重要である。交換留学プログラムの拡充、国際共同学位制度の推進、さらに複数の大学で学位を取得できる仕組みの構築により、学生や研究者の国際的な往来を活性化することができる。
次に、デジタル移動の活用が鍵を握る。オンライン国際授業の常態化、バーチャル国際ゼミナールの開催、そしてデジタル図書館や研究データベースの共有体制の整備など、物理的距離を越えた知の移動を可能にする仕組みが求められる。
さらに、知的移動の促進も欠かせない。学際的な国際研究プロジェクトへの参画、国際会議やシンポジウムの定期開催、多文化共生を体現するキャンパスづくりを通じて、知の多様性と流動性が高められる。
加えて、**現代版「万国教授権」**の創設も視野に入れるべきである。これは、グローバルに通用する教育資格の国際認定制度、世界各地の大学間における単位互換制度、研究者の国際的な流動性を支援する制度などを包含するものである。
これらの取り組みはすべて、知が国境を越えて旅することを可能にする「旅する知」の現代的再構築に向けた、極めて重要なステップである。
フンボルトの「研究と教育の⼀致」を超えた「研究‧教育‧社会実践」の三位⼀体構造と、中世的な「移動の⾃由」の現代的復活は、⼤学が21世紀の知識社会において果たすべき役割を明確に⽰している。これは単なる教育制度改⾰ではなく、⼈類の知的発展と社会進歩のための根本的パラダイムシフトといえるであろう。
「同志社ルネサンス」の理念は、このような現代⼤学の新たなあり⽅を先取りするものであり、新島襄の建学精神を現代に活かしながら、未来に向けた⼤学のモデルを提⽰している。「旅する知」の復活は、知識の普遍性と学習共同体の流動性を通じて、真の意味でのグローバル⼤学の実現を可能にするのである。
今年は梅雨の期間が短かったです。
あっという間に7月になり、毎日、暑いですね。
Gensparkは最初は、新しい検索エンジンもしくは検索を手伝ってくれるAIみたいな感じだったと思うのだが、
何度も変わって
タスクを代行してくれるAIを目指しているのだと思います。
また、OpenAIの「o3 Pro」やClaudeの「Opus 4」などの最新LLMを統合して結果を出すところがすごくユニークなのかも。
最近の相談相手として、最有力候補の一人ですね。
Podcastに興味がでてきたので、GPTに調査してもらいました。
整形はgeminiです。
いつかはpodcasterになりたいですね。
ちょっとしたラジオDJの感じがします。
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施設名 | エリア | 対象 | オフィス形態 | 支援内容の特長 |
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