私は祈り続ける

私は神を信じるものではない
そして私は祈り続ける
広島でそして長崎で被爆した人たち、今でも苦しんでいる人たちのために祈る
つらさを想像し、二度とおこらないことを祈る
サリン事件や通り魔、人違いでさされた友人、多くの突然ふってわいた災難でなくなった人、ご家族、心が傷ついた人のために祈る
どうしてそんなことになったのか決してわからないけれども少しでも痛みがやわらぐように祈る
阪神大震災を始めとして天災で傷ついた人、無くなった人、今でも困った人のために祈る
何もできずにひたすら祈るだけだが、それでも祈る
私は家族のために祈る
子供のため、妻のため、両親のため、友人のため
皆に小さな幸せでよいので、それが続いていくことを祈る
私は、私に歩み寄ってくる学生や卒業生のために祈る
私と時を同じくしたときに得たものが、塩となって、大きな実を結び、幸せに暮らしていけることを祈る
今でも各国で戦争が起こる
やっつける方と戦う方の言い分がわからない時が多々あるが、なんとか折り合いをつけて、困ったことが起こりませんように
祈るばかりである
今回の大きな地震を起点とする数々のつらいこと
自分ではできることをできるだけやるだけである
今は祈ることしかできない
一つでも命がたすかりますように
困った人の苦しみがすこしでもやわらぎますように
安否をたずねていない人が無事でありますように
間違った情報が流布しませんように
みんなが混乱しませんように
問題が早く解決しますように
この祈りは祈りつづけなければならない
神よどうか少しでも、困っている人、つらい人の上に楽しいこと、幸せなことが舞い降りますように。

東日本巨大地震について

3月11日(金)に発生した三陸沖を震源とする東日本巨大地震により、被災された皆様やそのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。研究室や同志社大学の卒業生も無事でありますように。

勉強しなくて成功をつかんだと思っている人

勉強をせずに、基礎的な力をつけずして、自分は成功している、うまくやっていると思っている人が時々いらっしゃる。
確かに、うまくやっていると思っているのだから、本人はそれはそれで良いと思う。
しかしながら、だから、やろうと思えば可能だったり、経済的に余裕があるのに、「勉強しなくてもよい」「学校へ(大学)いく必要はない」「基礎力は必要ない」と自分以外に押しつけるのは、下記の2点の理由によってよろしくないと考えています。
1) 勉強してたり、基礎的な力をつけていればもっと大きな成功やもっとうまくやれる可能性がある。
自分で車輪の再発明をしなくてもよいかもしれないし、別の車輪を見つけることもあるだろうから。
車輪を見つけることができれば、もっとたくさんの荷物をもっと早く運ぶことができる。
勉強や基礎力は、スポーツのランニングといっしょで、見えないテコの力となる。
2)その人の特有のパスだったのかもしれない
うまくやれたのは、その人の特有の環境、パスだったのかもしれない。勉強必要なしと言っている相手が同じパスを通れるとは限らない。一方で、勉強や基礎力は、(再度)スポーツのランニングといっしょで、見えないテコの力となる。
日経の私の履歴書は安藤忠雄である。
どうしてこんなに一人で勉強できたのであろうか。文面からも鬼気迫るオーラがある。
40歳台の人事の方々は、自分の大学時代を振り返り、大学での勉強は必要なし、大学生は暇だ、セミナー来いと思っている節もあるのではないかと思う。
でも最近の学生君は、本当にグローバルな競争を強いられているんですよ。
大学のカリキュラムや説明や実行方法も僕らが学生の頃とは大きく変わりました。
学生の諸君も本当に忙しいし、まじめだし、よく授業に出ている。
そして、日本の学生が就活でセミナーに日参して精神的に参っている間に、アメリカの大学院ではきちんと授業が行われているんだよね。そして、そこを卒業したアジアの人たちと将来、競争しなければならないんだよね。

将来へのくさびをうつ

どんなに考えてもわからないことがある。経験したことがないこと、起こったことがないことにはどうしても、どう考えてもわからない。それでは、対処法がないかと言えば、2つの方法がある。その一つは、結果や将来がわからなくとも直感でよい選択をする能力を高めることである。そんな能力あるのかと言えばあるのである。将棋の羽生さんなんかこの能力が優れているから強いのである。この能力をセレンディピティというのである。もう一つは、その先々でうまく対応してよりよい状況を作るのである。これができればどこだって幸せになれる。自分で幸せにするからである。さてはて、できるだけ知識を詰め込ませても、目先の善し悪しをうまく選んでもこれらの能力がなければうまくくぐり抜けていけないし、幸せにもならない。就職先もそうである。どんな会社なのか小手先の調査ではわからない。将来どんな会社になるのかわからない。結婚もそうだ。どんなにいろんなことを考えたとしても、困難や試練が訪れるであろうし、子供が生まれたらどんなことになるのか、老後はどうなるのかなんて、そのステージになってみなければ決してわからないのである。しかるに、我々は知識をつけさせることも必要であるが、長きにわたって幸せな人を輩出したいのであれば、それだけではなくて、直感力であったり、そのステージに行ってから自力でその場をよりよくする力を身につけてもらったりしたいのである。