新島襄 できる学生に泣く

先週の大河ドラマ「八重の桜」第37回は、熊本から学生が大挙してやってきてもめるという回であった。熊本バンドのメンバーにとっちめられて涙を見せる襄である。本当の襄がこんなに弱かったとはとうてい思えないのであるが、涙する襄は人ごとではない。

開講当初、2名の教員だったということである。驚きである。
ドラマではあまり場面がないが、英学校からの拡張のため、宣教の許しを乞うため、多くの営業的な活動をしていたに違いない。開講当初から、教育的な仕事だけでなく、非常に多くの仕事を同志社の教員はかかえていたのである。しかもST比がでたらめである。さらに、教育の経験も少ない上に、新しい流れに対応しなければならずやらなければならないことは満載であっただろう。自転車操業どころではなく、自転車を引きずりながらの授業の運営、英学校の運営であったのだろう。
どこかで聞いたことがある話しである。どこかで感じていることである。
開講当時から現在に至るまで、レベルや質は違うのかもしれないが、同志社の抱えているのは同じなのだろうか。
そこにできる学生がやってくる。
期待している授業のレベルではない。文句がでる。責任者出てこい。責任者やめろ。
足をひっぱる他の学生やめろ。
声高に正論と思えるような声をあげるのである。
それに対して、大河ドラマでは、泣いて次のように訴える襄である。
私が目指す学校は、学問を教えるだけでなく、心を育てる学校です。私は日本のために奉仕するこ とができる国を愛する人間を育てたくてこの学校を作りました。国とは国家のことではありません。国とは ”people=人々”のことです。国を愛する心とは、自分を愛するように、目の前にいる他者を愛することだと私は信じています。」「気骨ある者も大いに 結構。良いものは良い。しかし己のために他者を排除する者は私は断固として許さない。我が同志社はいかなる生徒も決して辞めさせません。それにはあなたた ちも含まれてます。その信念がある限り、私が辞めることもありません。どうか互いを裁くこと無く、共に学んでいきましょう。」
ここ(http://ncc1701.jugem.jp/?eid=6523)から引用
先にも書いたように泣いたかどうかは定かではないが、同じような話しをしていたことは推察される。自分の権利を他人に排除して達成することは同志社には許されないのである。
他人も自分のように愛してそれらを引き上げていこう。これが同志社の精神なのである。
大学は、どうしてもマス教育で、せっかく入ってきてもらっても、やってることが難しいとか簡単すぎるというのがどうしても出てきてしまう。それに対して、同志社では、どちらかといえば、難しいと感じる学生に手厚いカリキュラムになっていると思う。ただし、じゃあ、簡単だと感じている学生をむげにしているのかと言えば、そうではなくて、それぞれの道をもとめて活動してもらえばよいし、必要であれば、システムを自分から作り出すことも可能である。授業で満足できない学生は、それこそ教員のドアをどんどん叩いて、道を広げてもらえればよいと思う。それこそいろんな教員がいて自分にあった教員がいると思う。
しかし、よくわからないのは、次の点である。すなわち、迫害を受けて熊本にいることができなくなり、新島襄を頼って出てきたというのは、熊本バンドの人たちも理解していたはずである。それができないメンバーではない。ようするに自分たちを受け入れるオプションが限りなく少なく、受け入れる側も負担であることを認識できる能力がありながら、どうして攻撃的になるのか、感謝の念がないのは何故なのか。
時代的なことなのか、本当には優れていないのか、よくわからない点ではある。