しかし、こういう「割り前」は年の順に引き受けなければならないものである。
私が若い頃は、年配の先生方が管理運営に携わって、ご自身の研究時間を削り、プライヴェートを犠牲にして、私たち若い教員が研究教育活動に専念できるように大学を支えていてくれていた。
自分もその年回りになったら「ご恩」を返さなければならない。
世の中、そういうものである。
私は学者なんだから研究だけする、学内の「雑務」なんぞ御免だね、というようなことを放言する教員はまだ少なくない。
けれども、その人が「自分のもの」だと思っている研究時間は、他の教員が自分の研究時間を削って確保してくれているのである。
こんな風に考えるのが普通なのか...
大学でやならければいけない仕事はますます増えている.
仕事は若い者がやるものだという風潮も浸透していると思う.
建前は研究すべきということになっているが,現実的には研究なんかができる状況ではなくなりつつあると思う.
内田さんのコメントには少々ジーンときた.