忘れてたあのリベラリズム

先日、ある方とディスカッションしていて、その方がICTやらAIやらが可能とするリベラリズムについて熱弁を振るっていらっしゃった。
まったくもって同意なのだが、帰り道に、そういや自分も同じようなことを言っていたんだなということを思い出した。

ちょっと前まで、プログラムの授業の最初のときに、なぜ、プログラムを学ぶのかということについて説明していたのだが、
そのときに、
プログラムを学んで、「自由を獲得しよう!」と言っていた。
自身でいろんなサービスを作ることにより、いろんなことができるようになり、何よりも自由になれるのだ。
いつからだろうな。
言わなくなっちゃったのは。学生から、やりたいことやら熱意が見えにくくなってからだな。
やること、次のステップを質問するようになってから、言わなくなっちゃったのかなあ。
でも、プログラミングできるようになると、いろんな束縛から開放されて自由になるんだよな。

博士課程へ進学する意味についても、独立性を獲得できるからというのをあげていたけど、
最近言わなくなっちゃったなあ。
でも、個人が独立して、自由を獲得するのって素敵ではないかい。
そのためには、やっぱ自身で将来を決定し、そのために博士課程いかなきゃな。
独立して生きて生きたいひと、減っちゃったなあ。そう感じる。