1年 立ちました。

うちの地域では、休み中だが、この日だけは臨時に登校が毎年義務づけられていた。
毎年、体験された方が身近にいたらお話を聞いてくることという宿題がでた。
一方で、祖父は体験しているのだが、その生涯中、僕がどんな質問をしてもまったく何も教えてくれなかった。それだけの体験である。
もっとも怖いのは体験が風化することである。
幼子をかかえ、守るようにして死んでいった母親の姿が多数
愛すべき人が目の前で死んでしまい普通に生活できなくなる人多数。そういう人はプレハブのような一人部屋で暮らすことが難しい。
時間がたつと行政は見た目を気にするようになって、そこで過ごす人のことよりも強制的な町作りに力を入れるようになる
修学旅行で中高生がやってくる。善意でプレゼントを持ってくるのだが、日常的に使えないので、もらった方も、行政もその対処に苦慮する上に、存在することによって問題が発生する。
修学旅行で中高生がやってくる。真剣なものも多数だが、当然、全く感心の無いものも多数。体験談を話す人、準備する人の間で亀裂が生じる。
などなど。
これが何かと言えば、広島の原爆の経験だ。
歴史は繰り返す。何にも進歩していないと無力感を感じる。
大人になってから子供の時よりも力がないこともあるんだなと感じる。
提言や方向付けを行わないテレビや新聞に正面から目を向けられない。
「過ちは繰り返しませんから」と100万回言ってきたけど、過ちは繰り返す。