たとえば こんなブログ にあるように日本のものづくりは国際的な競争力の中、衰退期になるのではないかと思っていた。
しかしながら、この2週間の間に、3度、その考えは間違いであるとの議論になった。
日本のものづくりの国際競争力は維持されているという見方である。
衰退していると考えている自分がだめだめだなと思わせるほど、ものづくりにたずさわる、教育されている多くの人が国際競争力は維持されているおっしゃる。
GDPとかがさがっているのは円高などの要因だからだとか、デフレーションになっているのは市場にお金がゆきわたっていないからだという意見も多い。米国の企業が好調を維持するはずがないし、日本の企業はちゃんと考えているのでかならず復活するはずであるとセットでおっしゃる。
日本の赤字の企業は、実は見せかけだけで実態は黒字だし、これまでの蓄積でうまくいくようになっているのだという意見も多かったな。
だからそれほど、appleとかIBMとかgoogleとかfacebookとかを作る必要がないと感じているのであろうな。
そうかもしれない。
だけど僕は日本のものづくりの国際的な競争力は衰退期にあるためにこのようなことになっているのではないかと感じているし、仮に企業の赤字が見せかけだとしても、本当に赤字になってしまうのではないかと思う。
すなわち、僕は「日本のものづくりの国際競争力は平均的には維持されていない」という考えを持っていて、何故、平均的に維持されないかと言えば、作らないといけない「もの」のターゲットが違うからだと思っていた。
だのに、このアイディアはおおよそコンセンサスがとれているものではないことに大いに驚く。
だから、日本でもappleみたいな会社必要だよねとか、なんでsonyってappleみたいにならなかったんだろうというところからの議論にならない。お前何いってんの?日本にapple必要ないじゃん。というところから始まって えー ということになる。
これまた訴求しない例えなのだが、日本刀を作る技術は非常に高い物が必要で、技術を得るのに非常に高いコストが必要であろうし、国際的には高い競争力を持っているであろう。でも、日本の国際競争力を平均的に維持するためには、日本刀じゃあだめだと思うんだけどなあ。
だから、作る「もの(サービス)」を離散的に変える必要があるのだと思う。
医療分野というのはその一つかもしれないし、一部の企業や本学でもチャレンジしているところなのかもしれない。
池田信夫や野口悠紀雄に感化されすぎてるかしら。
とりとめのないメモということで。
ただ、「日本のものづくりの国際競争力を平均的に維持すべきであるかどうか」という問題は、また別の議論であると思っている。