誰かの「ために」より、誰かを「思って」戦うチーム


今日の日経。イチローいいこと言いよる。

「何かのために」は聞こえは良い。でも時に思い上がっているようにも思える。人間関係においても言えることだが、誰かの「ために」やろうとすると厄介な事態になることがある。しかし、誰かを「思い」何かをすることは、見返りを求めることもなく、そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ないように思う。昨年の3ヶ月だけだったが、ヤンキースは「思い」を強く持たせてくれた組織だった。

学生の「ために」やろと思っちゃいかんな。
イチローの言っていることの一つのやり方が、キリスト教主義であり、良心教育であり、同志社大学でやろとしていることに違いない。