地の塩、世の光

あくまでも私見。
多分にどちらも主張がいっしょで、表現が違うだけだとおもうけども、
「大学教員の仕事 」
大学教員にとって、もっとも重要な顧客である学生の要望とは何か。

辻井洋行の日記
という表現よりも、
「教育のコストは誰が負担するのか?」
教育の受益者は本人ではない。
直接的に教育から利益を引き出すのは、学校制度を有している社会集団全体である。

内田樹の研究室
という表現の方が同志社大学の教育にはぴったりくる。

学生が顧客だとすると、その要望に合わせていかなければならないのだが、同志社人は、望もうが望まなかろうが良心に満ちた人物になってもらわなければならない。
そして、学生は同志社を離れるにあたり、「地の塩、世の光」とならなければならない。そして地上が栄え、世の中が愛に満ちあふれるということなわけだ。そしてそれこそが個人の幸せにつながるのだ。
キリスト教に改宗せよとは言わない。けれども、キリスト教で大事にしている、隣人を愛する心、社会貢献する精神はちゃんと学んでねというのが同志社で学ぶキリスト教主義なのだと思う。
重要なのはそれらの項目は卒業の必要な単位クレジッットには入っていないのだ。
でも、卒業するときには、だいたいがその雰囲気も身につけて卒業していくのだ。サッカーの宮本とか、陸上の朝原とかがわかりやすい(同志社卒のスポーツ選手
学生が顧客で、そのの欲求に合わせると、個人が、勉強しない、良心教育を望まないという場合もあるのかもしれないが、同志社ではそのような教育は行われないはずだ。
他の大学では、何のために教育や研究を行うのか、そこから積み上げていかないといけないからなかなか難しいであろう。
同志社大学では、そこについては揺らぐことがない基盤としてすでに形成済みである。それこそが同志社の強みであると思っている。
ちなみに、同志社と神戸女学院とは教育方針について似たところが多々あるように感じるけれども、それは設立の際に多大なアメリカン・ボードの援助があったからだと思われる。