海外に行って思うこと

高度成長期の頃にアメリカやヨーロッパに行ったならば、やはり欧米の進み具合にびっくりしたり文化の熟成におどろいたりで、早く日本もあのレベルに追いつかなければならない、いつかは欧米で活躍したいいと胸を高まらせる若者も多かっただろう。僕もそうだ。欧米だけでなくて、いろんな文化に触れたり新しいことを知ることに非常に気持ちがそそられる。そんなタイプの人にはっぱをかけるのは簡単で海外を見せれば、いつかは自分もという気になるし日本を出ていってやろうという気になる。

一方で、時代は随分と変わった。若者といっしょに海外にいくと、ポジティブな気持ちになる人だけではなくなったんだなあという気持ちにさせられることがよくある。(もちろん、昔と同じようにポジティブな気持ちになる人もたくさんいる。)ようするに、二度と海外はごめんだ、できれば日本で過ごしたいので、海外に行くのを誘わないでくださいというオーラを醸し出す若者が増えているような気がする。
一番センシティブなポイントは、やはり食事だ。日本にいるとそんなにこだわっているようには思えない人でも、海外の食事ががまんできない人が多くいる。食事のたびにどれだけ日本の食事がすばらしく、海外の味や量がだめなのかを述べる人がわりかし多い。それらを楽しむ前にである。食事は3食あるわけで、楽しむポイントを逸している。食事のことを考えると海外には行きたくなくなる人も多いであろう。
その次は、治安だ。海外は物騒なところが多い。日本も物騒なところがあるわけだが、カルチャーやらなんやらもからんで危ないことがありそうな感じは海外のほうが圧倒的である。でも、安全なところと危険なところは分離されているところがあるのが常であり、そこのところをわきまえていればなんとかなるものである。でもだめなんだよな。危険そうなところにわざわざ行く理由が見つからない。でもそこに面白さがあるんだけれども。
3つ目は、日本語である。日本語は圧倒的にらくだ。誰が何と言おうとも日本語を母国語とするものにとっては日本語がらくだ。理解できるし、冗談も言えるし、細かいニュアンスも伝えられる。英語、英語というけれども日本語で生活できるのであれば日本語で生活したいというのが圧倒的な本音ではなかろうか。
そんなこんなで、海外に行くのは億劫な気持ちになる。海外にいってもそれなりに面白いことがあるけれども、絶対なことではない。何よりもの証拠が、海外での経験や気付きを語るまえに、どれだけ日本が素晴らしいかを語り始めることからもわかる。それはそれでよいのだが、こんな状態では、十把一絡げに、グローバル戦略といっても無理があるのではなかろうか。