検索の行く末

日本の経済が衰退していったりしても、別にグローバルにがんばらなくてもケセラセラでいいんじゃないの?という考え方もある。
でも、自分がしたいことが、自分のいたい環境でできないのはやはりつらいな。


貧乏になれば、世界の中心では食せても、日本では食べられないものもあるだろう。そう 食いしん坊なのがよくないのかもしれない。
もっと進んで、日本の水が日本で手に入らないかもしれないし、十分な食料や飼料の供給もままならないかもしれない。
それはそれでよいというのであればそれでも良いのだが、残念ながら自分がいけない。
さて、データマイニングというものをある意味 違った言い方をすると検索ということになるのではなかろうか。
昔は、単純に探索したい単語があって、全一致をデータの中からひとつづつ照査していったのであるが、最近はいろんなアルゴリズムやらシステムやらが出てきていて本当に便利になった。
gmailでも、evernoteでも、office2010になってからのonenoteもすごく検索がよくなった。
でも検索でうまく探すことができる安心感があるから、適当にデータを蓄積するのである。
逆に、うまく検索できなければ、蓄積する意味もないし、得られる情報の量や質も、変わってくる。
今のところ、日本の市場と日本語が使える市場というのはほぼ一致しているのではないかと考えられる。
日本の市場が非常に 魅力のないものになってしまったら、日本語に対するサービスも低下するだろうなあ。それがいや。
これからどんどんと情報検索、情報利用の分野は変わっていくと考えられるけれど、日本の市場が魅力的でなくなって、サービスを提供する気にならなくなったら英語と日本語とで検索した結果が変わってくるだろう。
じゃあ 日本で閉じてやればよいではないかという話もあろうが、世界に匹敵するアルゴリズムやら知識やらを創出することができるのかというところが問題になる。
日本語を捨てて、英語にすればということにもなるけど、僕はいやだなあ。
だから日本の市場の魅力が維持されて、いろんなサービスが日本語をサポートすることを期待します。
ただし、この日本語をサポートするっちゅう意味は、単に単語を 単語表で変換するという意味ではなくて、日本語の持つ特性を踏まえて、アルゴリズムを改良して提供するという意味ですね。
なんだけど、大きな流れはやはり日本じゃなくて中国を含めたAPANになっていて、その中心はシンガポールやら上海やらになっているような気が。
このお話はまた次の機会に。