バブル崩壊

池田信夫のブログに「財政危機のいつか来た道」というのがあがっていて、1992年頃を振り返っている。
このブログの中身に対する議論はさておき

いま財政に起こっている。政府に1000兆円の債務の支払い能力がないことは明らかだが、借り換えを続けられる限り流動性は回る。

というのは正しいであろう。そして最後に

私の印象でいうと、事態は拓銀・山一の前夜に似てきたような気がする。

と締めくくっている。
wikipediaによると

景気については、景気動向指数(CI)をみると、1990年10月をピークに低下傾向となり、1993年12月まで低下した。地価は、1991年秋頃(東京、大阪の大都市圏では90年秋頃から既に始まっている。)に、路線価も1992年初頭をピークに下落していった。
(途中略)
「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬にして起きた現象ではない。
(途中略)
バブル崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象である。
(途中略)
一般的にバブル絶頂期とは、景気が良いと一般大衆に認識され始めた1988年頃から、景気が悪くなってきたと認識され始める前の1992年頃までを指すこともできる。

とある。
すでに1990年から数字的にはバブルがはじけていたというのが驚きである。1992年ごろにははじけていたという実感が世の中にはなかったからである。ただ、はじけるかもしれないという強い予感が世の中に満ちあふれていたのはよく憶えている。
1992年に留学にいったからである。
少なくとも就職活動を行っている学生もとる方も1993年の4月の時点では、バブルがはじけた実感はなかったはずだ。
そのときに、アメリカからいくつかの企業に就活について国際電話をしたのでよく憶えているのだ。
しかし、その半年後は状況が劇的に変わっていた。売り手市場が完全に終わっていたのだ。
国の借金をどのようにしていくのか糞詰まりの状況だ。
痛みは求めないが、ばらまきは求めるから。
1000兆円はかえせねーな、やばいかもしれないという空気は、1992年に本当に似ているように思う。
上記の話しで言えば、1992年はすでにバブルがはじけていたわけで、このときに売り抜けていれば痛い目にはあわず、まだまだ期待すると命がなくなるというのがバブルの時の教訓である。