情報処理社会が非同期に働くことを可能にし強制する

情報処理社会が非同期に働くことを可能にし強制する
Slashdotに「金持ちはより長時間労働する」という記事が紹介されています。元ネタはThe Economistの記事だそうです。このSlashdotの記事では、知的な業務自体が報酬となっている可能性があることと雇用の見通しが悪化していることが余暇の時間を大きく見せている可能性があることを指摘しています。
池田信夫さんはこのところblogで労働時間のことを書かれています。
これまでは、組織に縛られた時間を過ごすことが必須だったが、これからはICTがすすんで非同期に仕事ができるようになると主張しています。
組織側から押し付けられた仕事をそのまま「ブラックだよね」と片付けていると置いてけぼりをくうのである。水曜日や土日に飲んだくれて消費しているのは古い。できるやつは、そこで知識を身に着けて次のステップに進み、違うフェーズで稼いでいるのである。
上記のような人たちの足をひっぱるのか成長するかが日本の成長のカギである。上記のような人たちを応援すると、多くのイノベーションが生まれる。その一方で、自律的でない人、複数の処理を同時に行えない人、非同期に働くことができない人、こういう人との差が拡大する。どうするのか。
と、昨日、非同期に働き始めた元気な方から元気をもらいながら考えました。

非同期的な時間
「中世までの自然な時間は季節によっても地域によってもバラバラだったが、近代の時間は正確に同じで、人々は時計で同期をとって共同作業する。工場では同じ時間に出勤して同時に仕事しないと効率が落ちるので、資本家は労働者に時間厳守を要求した。工場では個人にノルマが与えられ、人々は限られた時間の中で休む暇なく同時に働いた。」「しかし脱工業化社会では工場が作業の場ではないので、人々は非同期的に行動する。」
日本の「非生産的な文化」を見直そう
「情報産業では勤務時間にほとんど意味がない。ソフトウエアは自宅でも書けるし、ソーシャルメディアやテレビ電話を使えば、会議はいらないので、IT企業では在宅勤務が多い。このように企業が「仮想企業」になれば、労働時間と余暇の区別もなくなるので、休日もいっせいに取る必要はない。好むと好まざるとにかかわらず、多くの高齢者はこれから暇になる。それをどう過ごすかは重要な問題だが、組織に所属していないと落ち着かないのは会社人間の中毒症状だ。ポスト工業化社会では、組織から離れて自由に生きることがモデルになる。「正社員」を労働者の唯一絶対の規範と考える厚生労働省の家父長主義を変えることが重要である。製造業を卒業した日本は、こうした非生産的な伝統文化を再評価してもいいのではないだろうか。」
「残業代ゼロ」を批判する朝日新聞に残業代はない
「マルクスも苦役としての「労働時間」を短縮することを理想としていた。彼のめざしていたのは「労働が単に生活のための手段であるだけでなく、それ自体が第一の生きる欲求となる」(『ゴータ綱領批判』)社会だった。これは労働の「疎外」を論じた若いころから晩年まで一貫していた。」
最近の30代をみていると元気な人に共通の雰囲気がある。それは1)仕事を楽しんでいること 2)複数の案件を持っていること(multiple tasks) 3)非同期に働いていること(Asynchronous)である。