AIが発見した真理を、誰が保証するのか

2026年10月8日OpenAIが公開している、AIによる数学研究の進展についての記事を読んだ。

Sharing AI progress in mathematics

本当におもしろい。

AIが数学の問題に取り組み、人間の研究者とともに新しい数学的知識の発見に挑戦している。

AIが人間の知識を学習するだけでなく、人間がまだ知らない知識を生み出す。そんな時代が、いよいよ現実になりつつある。

研究者としては、なんともワクワクする話である。

ところが、読みながら一つの疑問が浮かんできた。

数学には証明がある。では、進化計算や生命科学では、AIによる発見を何によって保証するのだろうか。

考えてみると、これはなかなか厄介な問題である。

数学には証明という強力な仕組みがある

数学の世界は、ある意味でうらやましい。

AIがどれほど奇妙な方法で新しい定理を発見したとしても、その定理について正しい証明を示すことができれば、論理的な正しさを確認できる。

最近では、Leanのような形式的証明支援システムによって、証明の論理的整合性を機械的に検証することもできる。

AIが発見し、別の仕組みが検証する。

もちろん、証明が正しいことと、その定理が数学的に重要であることは別の話である。

それでも、正しさを確かめるための明確な仕組みがあるというのは、実に素晴らしい。

では、私が研究している進化計算ではどうだろう。

例えば、AIがこれまでにない交叉方法を発見したとする。

交叉とは、進化計算において複数の解の情報を組み合わせ、新しい解を生み出す操作である。生物の遺伝的な仕組みから着想を得たもので、探索の性能を左右する重要な要素でもある。

AIが考えた新しい交叉方法を試してみると、従来の方法よりも優れた結果が得られた。

素晴らしい。

論文を書きたくなる。

しかし、少し待ってほしい。

その結果は、特定の問題でだけ成立しているのかもしれない。パラメータの設定がたまたま良かったのかもしれない。あるいは、単なる偶然かもしれない。

さらに厄介なのは、性能が良いという事実だけでは、なぜ良いのかがわからないことである。

「よく動くアルゴリズムを発見すること」と「なぜよく動くのかという原理を発見すること」は違う。

これは、進化計算を研究していると何度も直面する問題である。

ベンチマークで良い結果が出たからといって、すぐに新しい科学的原理を発見したとは言えない。

数学のように、最後に証明を書けば一件落着、というわけにはいかないのである。

生命科学では、さらに話がややこしい

生命科学になると、問題はもっと複雑になる。

例えば、AIがあるタンパク質と疾患との間に新しい関係を発見したとしよう。

膨大なデータを分析した結果、これまで誰も気づかなかった強い相関が見つかった。

これも素晴らしい発見である。

しかし、相関があることと、因果関係があることは違う。

そのタンパク質が疾患の原因なのかもしれないし、疾患の結果として変化しているだけなのかもしれない。まったく別の要因が両方に影響している可能性もある。

実験で確認できたとしても、別の細胞や個体、環境で同じことが起きるとは限らない。

創薬の研究でも似たようなことが起こる。

AIが、計算機の中で非常に優れた分子を設計したとする。

しかし、その分子は実際に合成できるのだろうか。合成できても、期待した薬効があるのだろうか。安全性はどうなのだろうか。

計算機の中では優等生だった分子が、実験室に出た途端に問題児になることもある。

数学の証明と違って、実験によって得られた結果には、常に条件や限界がついて回る。

再現性を確認し、別の条件でも試し、反例を探し、少しずつ信頼性を高めていく。

科学とは、そういう地道な営みでもある。

ところが、AIによって発見の速度が飛躍的に高まると、この地道な検証の部分が追いつかなくなるのではないだろうか。

AIが毎日のように新しい仮説を生み出しても、それを検証する実験が数か月、あるいは数年かかるのであれば、発見ばかりが積み上がってしまう。

これは困ったことになりそうである。

AIが発見した仮説を、別のAIに否定させたらどうだろう

そんなことを考えているうちに、少しおもしろいことに気づいた。

AIが発見した仮説を、別のAIに否定させればよいのではないか。

もちろん、AI同士で言い争いをさせたいわけではない。

あるAIが新しい仮説を発見したら、別のAIには、その仮説が成立しない条件を徹底的に探させるのである。

例えば、私が関心を持っている進化計算の研究に、親個体の劣化方向に関する仮説がある。

通常、最適化では、解が改善する方向を探そうとする。

しかし、親個体が悪くなる方向にも、子個体を改善するための情報が隠されているのではないか。

そんな仮説である。

仮にAIが、この仮説を支持する実験結果を発見したとしよう。

そこで別のAIに問いかける。

「この仮説が間違っていることを示す条件を探してほしい」

目的関数を変えてみる。

問題の次元を増やしてみる。

制約条件を変えてみる。

探索空間の構造を変えてみる。

そうして、仮説が成立しなくなる条件を積極的に探していく。

ここで重要なのは、単に実験の回数を増やすことではない。

仮説を反証するための実験そのものを、AIに探索させるのである。

考えてみれば、科学者も似たようなことをしている。

新しい仮説を思いついたとき、その仮説を支持する結果ばかりを集めていては危ない。

むしろ、どんな条件なら成立しないのかを考えることが重要になる。

ただ、人間には自分の仮説を信じたくなる気持ちがある。

せっかく苦労して考えた仮説なのだから、できれば正しくあってほしい。

私も例外ではない。

そこでAIに、遠慮なく反例を探してもらう。

なかなか良い役割分担ではないだろうか。

もっとも、AIにも学習データや評価方法に由来する偏りがある。同じようなAIを二つ用意しただけでは、同じ間違いを繰り返す可能性もある。

AI同士が「素晴らしい発見ですね」と褒め合っていても、科学は進まない。

重要なのは、異なる方法や独立した検証を組み合わせ、実際に反例を見つけられる仕組みを作ることだろう。

進化計算は、科学の反証装置になれるか

ここで、もう一つの気づきがあった。

反例を探すという作業は、まさに探索問題ではないか。

進化計算は、広大な探索空間の中から、より良い解を見つけるために発展してきた技術である。

通常は、性能の良い設計や最適なパラメータなどを探す。

しかし、探索の目的を変えたらどうなるだろう。

最も良い解ではなく、ある科学的仮説が最も破綻しやすい条件を探す。

例えば、仮説を支持する結果が得られなくなるような問題設定を、進化計算によって生成する。

もし反例が見つかれば、仮説を修正する必要がある。

反例が見つからなかったとしても、それだけで仮説が正しいと証明されたわけではない。

ただし、どのような条件で検証し、どこまで反例を探索したのかを明らかにすることはできる。

さらに、反例が見つかった境界を調べれば、仮説が成立する条件について、新しい知識が得られるかもしれない。

これは、単なるアルゴリズムの性能比較とは少し違う。

科学的仮説の適用範囲を、探索によって明らかにするという考え方である。

進化計算は、科学的発見を生み出す技術であると同時に、その発見を検証する技術にもなれるのではないか。

これは、私にとって今回の最もおもしろい気づきだった。

もちろん、反例探索や自動実験設計にはすでに関連する研究がある。ここで考えているのは、それらを進化計算による科学的発見の枠組みと結びつけ、さらに発展させられないかという構想である。

最適化から、探索、創造、発見、そして検証へ

現在、私は進化計算をもう少し広い視点から捉え直そうと考えている。

その研究構想には、次のような名前をつけている。

Redefining Evolutionary Computation: From Optimization to Exploration, Creation, and Discovery

進化計算を、単に良い解を求める最適化技術としてではなく、未知の世界を探索し、新しいものを創造し、まだ知られていない原理を発見するための技術として捉え直すという考え方である。

今回、そこにもう一つの言葉を加えたくなった。

Validation(検証) である。

Optimization → Exploration → Creation → Discovery → Validation

最適化から探索へ。

探索から創造へ。

創造から発見へ。

そして、発見から検証へ。

ただし、これは一直線に進むものではない。

検証によって反例が見つかれば、新しい問いが生まれる。

その問いから、再び探索が始まる。

新しい仮説が生まれ、また検証が始まる。

発見と検証が循環する。

そんな科学的探索システムを、進化計算によって実現できないだろうか。

考えてみると、進化計算という名前にもよく似合っている。

進化とは、完成した答えに到達することではなく、環境との相互作用を通じて変化し続けることなのだから。

正しい発見と、意味のある発見

ところで、ここまで考えて、もう一つ気になることがある。

仮にAIが発見した仮説を十分に検証できるようになったとして、それで科学は完成するのだろうか。

おそらく、そうではない。

数学で正しい定理が証明されても、それが必ずしも重要な定理とは限らない。

生命科学でも、再現性のある現象が見つかったからといって、それが必ずしも重要な発見とは限らない。

科学的発見には、少なくとも二つの異なる問いがある。

その発見は、どこまで正しいのか。

そして、

その発見には、どのような意味があるのか。

前者はValidity、後者はSignificanceと呼べるだろう。

AIは、前者の検証を強力に支援するようになるかもしれない。

しかし、後者はどうだろう。

なぜその問題を研究するのか。

なぜその現象に興味を持つのか。

その発見によって、私たちの世界の見方がどう変わるのか。

こうした問いには、科学の歴史や社会との関係、そして研究者自身の好奇心が深く関わっている。

もちろん、AIも発見の重要性を評価するようになるだろう。

それでも、何をおもしろいと感じるのか、何を知りたいと願うのかという問いは、簡単には消えそうにない。

AI時代の科学は、どこへ向かうのだろう

AIによって、科学的発見の速度はこれからさらに高まっていくのだろう。

これまで人間が何年もかけて考えていた仮説を、AIが短時間で提案するようになるかもしれない。

そうなると、科学のボトルネックは、発見することから、発見を検証することへ移っていくのかもしれない。

そして、その検証さえもAIが支援するようになる。

AIが仮説を発見し、別のAIが反例を探す。

反例から新しい仮説が生まれ、また探索が始まる。

そんな循環が実現すれば、科学研究の進め方そのものが変わる可能性がある。

ただ、最初の問いはまだ残っている。

AIが発見した科学的真理を、誰が保証するのか。

数学には証明がある。

実証科学には、観察と実験、再現と反証の積み重ねがある。

そして、これからは、その積み重ねをAIや進化計算が支えるようになるのかもしれない。

進化計算は、良い答えを探すだけでなく、私たちが正しいと信じている答えを疑うための技術にもなれるのだろうか。

もしそうなら、私がこれまで研究してきた進化計算には、まだ思いもよらない役割が残されているような気がする。

そう考えると、また少しワクワクしてくる。

AI時代のボトルネックは、人間の「気持ち」だった

視点をGPTに与えて、文章を生成させています。

2026年の秋、サイバー攻撃に関するニュースが妙に目につくようになった。

大阪公立大学、IDCフロンティア、物語コーポレーション、パーク24など、大学から企業まで、さまざまな組織でサイバー攻撃や情報漏洩に関する問題が報じられている。

こうしたニュースを眺めながら、最初に感じたのは、少し乱暴かもしれないが、こんなことだった。

「これ、明らかにAIが高度化した影響ではないか?」

もちろん、個々の事件にAIが使われたと確認されているわけではない。サイバー攻撃はAIが登場するずっと以前から存在していたし、被害の公表が増えたことと、実際の攻撃件数が増えたことも区別する必要がある。

ただ、AIによって攻撃の敷居が下がりつつあることは、十分に考えられる。

以前なら高度な専門知識が必要だったプログラムの作成や脆弱性の調査も、AIの支援によって取り組みやすくなっている。攻撃の試行錯誤にもAIを利用できる。

一人の人間が持つ能力を、AIが大きく拡張する時代になった。

それ自体は、私たちが普段AIに期待していることでもある。

ただし、その能力を使う人が善人とは限らない。

技術というものは、なかなか利用者の人柄まで選んでくれないのである。

攻撃者は賢くなるのに、防御者はなぜ強くならないのか

ここで、一つの疑問が生まれた。

AIによって攻撃者の能力が拡張されるのであれば、防御する側も同じように強くなれるのではないか。

実際、AIは不正アクセスの検知、ログの分析、脆弱性の発見など、防御にも活用できる。

攻撃者だけがAIを使えるわけではない。

それなのに、なぜ防御はこれほど難しいのだろう。

少し考えてみると、攻撃と防御には大きな違いがあることに気づく。

攻撃者は、少人数でも行動できる。AIが発見した攻撃の可能性を試し、失敗すれば別の方法を考えればよい。

一方、組織の防御はそう簡単ではない。

例えば、AIが大学の情報システムに重大な脆弱性を発見したとしよう。

技術的には、すぐに修正した方がよい。

しかし、実際に修正するためには、担当部署への連絡、影響範囲の調査、予算の確保、システム停止の判断、利用者への周知など、多くの作業が必要になる。

「危険なので、今すぐシステムを止めましょう」

とAIが提案しても、

「明日は重要な会議がある」

「学生への影響はどうするのか」

「誰が責任を取るのか」

という話になる。

AIは数秒で答えを出したのに、人間の会議は数週間かかるかもしれない。

考えてみれば、少し不思議な光景である。

攻撃者のAI導入は、主として技術の問題で済む場合がある。しかし、防御側でAIの能力を十分に生かすには、組織そのものを変えなければならない。

そんな非対称性があるのではないか。

問題は組織ではなく、人と人との間にある

最初は、AI時代のボトルネックは人間の組織能力なのだと考えた。

AIがどれほど高度になっても、人間の組織が変わらなければ、その能力を十分に利用できない。

これは、それなりに納得できる説明である。

しかし、もう少し考えていると、何かが引っかかった。

本当に問題なのは、組織能力なのだろうか。

組織というものを少し分解してみると、結局のところ、人間と人間の関係で成り立っている。

組織図には、部長、課長、担当者などの役職が並んでいる。そこには矢印が引かれ、情報や命令が流れることになっている。

しかし、実際の組織では、組織図に描かれたとおりに情報が流れるとは限らない。

知っていることを報告しない人がいる。

報告を受けても動かない人がいる。

問題を理解していても、決断を先延ばしにする人がいる。

もちろん、それぞれに理由がある。

では、なぜそのようなことが起こるのだろう。

情報が足りないからだろうか。

必ずしもそうではない。

正しい情報があっても、人間は正しいと考えられる行動を選ぶとは限らない。

ここで、ようやく別の言葉が浮かんできた。

「気持ち」である。

最後に立ちはだかるのは「気持ち」

人間は、合理性だけで行動しているわけではない。

自分の責任にされたくない。

今の立場を守りたい。

他人から指図されたくない。

これまでのやり方を否定されたくない。

相手を信用できない。

あるいは、単純に、あの人の言うことは聞きたくない。

こうした気持ちは、どんな組織にも存在する。

そして、これらは必ずしも悪意から生まれるものではない。

自分を守ろうとすることも、これまでの経験を大切にすることも、他人を慎重に信用しようとすることも、人間にとって自然な反応である。

そもそも、人間の気持ちはどこから生まれてくるのだろう。

そこには、遺伝的な素因や進化の過程で形成された心理的傾向がある。

さらに、家庭、教育、社会制度、慣習、宗教、文化、個人の経験などが複雑に影響している。

私たちが「自分の気持ち」と呼んでいるものは、実は自分一人で作り上げたものではない。

長い生物の歴史と、社会の歴史が折り重なって生まれてきたものなのだろう。

そう考えると、会議で意見がまとまらないことも、単に参加者の能力が低いからとは言えなくなる。

何十億年にも及ぶ進化の歴史と、それぞれの人生経験が、一つの会議室に集まっている。

それは、簡単に意見が一致しないのも無理はない。

社会システムが悪いのではなかった

ここまで考えたところで、もう一つの気づきがあった。

最初は、社会システムが人間の気持ちをうまく扱えていないことが問題なのだと思っていた。

法律や制度、組織の仕組みが、人間の感情や価値観を十分に考慮していない。

だから、組織がうまく動かない。

しかし、どうもそれだけではない。

社会システムが人間の気持ちを扱えないのではなく、人間が他人の気持ちをうまく扱えないから、社会システムが機能しなくなるのではないか。

この二つは似ているようで、ずいぶん違う。

制度に問題があるのなら、制度を改正すればよい。

組織構造に問題があるのなら、組織を再編すればよい。

しかし、制度を設計するのも、運用するのも、人間である。

そして、その人間自身が、他人の気持ちを十分に理解できない。

どれほど立派な制度を作っても、それを運用する人間同士が理解し合えなければ、期待したようには機能しない。

もちろん、制度設計の良し悪しがなくなるわけではない。人間の弱さを補うために、制度は存在しているとも言える。

ただ、その制度の中に、再び人間の問題が現れてくる。

これは、なかなか厄介な構造である。

自分の気持ちはわかる。でも、他人の気持ちはわからない

そもそも、人間には根源的な非対称性がある。

自分の気持ちは、自分で経験できる。

嬉しい、悲しい、腹が立つ、不安になる。

その感覚は、自分の内側にある。

しかし、他人の気持ちは直接経験できない。

相手の言葉や表情、行動から推測するしかない。

しかも、その推測には、自分自身の価値観が入り込んでくる。

例えば、自分がある発言を批判だと受け取ったとしても、相手は単純に疑問を述べただけかもしれない。

反対に、自分では親切のつもりで言ったことが、相手には干渉や押しつけに感じられることもある。

人間は、他人の気持ちを理解しようとするときでさえ、自分の気持ちというフィルターを通して相手を見ている。

他人の気持ちを理解しようとする行為そのものが、自分の気持ちによって歪められる可能性がある。

そう考えると、人間同士が完全に理解し合うことは、原理的に難しいのかもしれない。

それでも人間は、社会を作り、組織を作り、協力して生きてきた。

だからこそ、法律やルール、慣習や制度が必要だったのだろう。

他人の内面を完全には理解できないから、共通の約束を作る。

ところが、その約束を運用する際にも、他人の気持ちを理解できないという問題が現れる。

人間社会は、ずいぶん昔から、この循環の中にいるのかもしれない。

AIは、人間と人間の間に入れるだろうか

ここで、最初のAIの話に戻ってみたい。

これまで私たちは、AIを人間の知的能力を拡張する技術として考えてきた。

計算を速くする。

大量の情報を分析する。

文章を書く。

プログラムを作る。

新しいアイデアを生み出す。

いずれも、個人の知的作業を支援するものである。

しかし、もし人間社会のボトルネックが、人間同士の相互理解にあるのなら、AIには別の役割があるのではないか。

例えば、会議で意見が対立している二人がいたとする。

一方は、安全性を重視している。

もう一方は、利用者へのサービス継続を重視している。

人間同士では、つい「相手は問題を理解していない」と考えてしまう。

しかし、AIがそれぞれの主張を整理し、

「お二人は対立しているようですが、重視している価値が異なるようです」

と示すことができたらどうだろう。

もちろん、AIが相手の本当の気持ちを読み取れるわけではない。

AIもまた、言葉や行動から推測しているにすぎない。ときには、もっともらしい誤解を生み出す可能性もある。

だからこそ、AIの解釈を本人に確かめることが重要になる。

それでも、人間同士では感情的になってしまう問題を、少し離れたところから眺め直す手助けはできるかもしれない。

AIが人間の代わりに判断するのではない。

人間が他人を理解するための、新しい鏡になるのである。

他人を理解する前に、自分を理解できているだろうか

ここまで考えると、Self-awareness、すなわち自己認識の問題にもつながってくる。

私たちは、自分の気持ちを直接経験できる。

しかし、だからといって、自分の気持ちを十分に理解しているとは限らない。

なぜ、あの人の発言に腹が立ったのか。

なぜ、その提案に抵抗を感じるのか。

なぜ、自分はある価値観を大切にしているのか。

意外なほど、説明できないことが多い。

自分の気持ちなのに、自分でもよくわからない。

そう考えると、他人の気持ちを理解することが難しいのも、当然なのかもしれない。

最近、AIと対話しながら、自分の価値観について考える機会があった。

自分が大切にしているのは、正義、自由、好奇心、探究、発見、創造性といったものらしい。

言葉にしてみると、自分の判断や行動の背景が少し見えてくる。

同時に、自分が大切にしている価値観を、他人も同じように大切にしているとは限らないことにも気づく。

ある人にとっては自由が重要でも、別の人にとっては安定や安心の方が重要かもしれない。

どちらかが間違っているという話ではない。

人間は、それぞれ異なる背景を持って生きている。

AIとの対話によって、自分でも気づいていなかった価値観を言語化できれば、他人の価値観を見る目も少し変わるのではないだろうか。

自分を理解することが、他人を理解するための入口になる。

そして、他人を理解しようとすることで、また自分自身への理解が深まる。

そんな循環も考えられる。

AIが進化するほど、人間らしさが問題になる

サイバー攻撃のニュースから始まった話が、ずいぶん遠くまで来てしまった。

最初は、AIによって攻撃者の能力が高まり、防御側が追いつけなくなるのではないか、という技術的な疑問だった。

ところが、その理由を考えていくと、組織の問題になり、コミュニケーションの問題になり、最後には人間の気持ちの問題にたどり着いた。

AIが高度化すればするほど、人間の知的能力に関する制約は少しずつ小さくなっていく。

しかし、人間同士の気持ちのすれ違いは、そう簡単にはなくならない。

むしろ、AIによって技術的な問題を解決する速度が上がるほど、人間同士の相互理解に必要な時間が、相対的に大きく見えてくるのかもしれない。

これは、少し皮肉なことである。

人類は、非常に高度な知能を持つAIを作り始めている。

その一方で、隣に座っている人が何を考えているのか、相変わらずよくわからない。

しかし、ここにAIの次の可能性があるようにも思う。

AIが人間の代わりに考えるだけではなく、人間が自分自身を理解し、他人を理解することを支援する。

知識や情報の処理能力を拡張するだけではなく、人間と人間の間にある、見えない距離を少し縮める。

もし、そのようなことができるのであれば、AIの社会的な意味は、今とはずいぶん違ったものになるだろう。

もっとも、他人の気持ちを理解するAIを作る前に、私たちは自分自身の気持ちをどれほど理解しているのだろうか。

AI時代の最大のボトルネックは、人間の「気持ち」なのかもしれない。

そして、そのボトルネックを解きほぐすために、AIという新しい知能が役に立つのだとしたら。

AIが本当に変えるものは、人間の頭の中だけではなく、人間と人間の間にあるのかもしれない。

AIは24時間働き続ける必要があるのか――考えないことを選ぶ知性

GPTに視点をあたえて、文章を生成させています。

「そんなことをしたら、死ぬほどトークンを使って、課金されるんじゃないの?」

最近、AIエージェントについて考えていて、最初に頭に浮かんだのがこの疑問だった。

なんとも夢のない話である。AIが人間の代わりに働いてくれるという、未来を感じさせる話なのに、こちらが心配しているのは電気代ならぬトークン代なのだから。

しかし、考えてみると、これは案外、本質的な問題なのかもしれない。

仕事を頼むAIから、仕事を担当するAIへ

OpenAIの「dots」という、継続的に仕事を任せるAIエージェントの構想が話題になっている。

これまでのChatGPTにも、指定した時間に処理を実行するTasksや、複雑な作業を自動化するAgentのような仕組みはあった。

それでも興味深いのは、AIに個別の仕事を頼むのではなく、ある「役割」を任せるという発想である。

例えば、こんな指示を与える。

「あなたは私の研究調査担当です。私の研究テーマを理解し、関連研究の動向を継続的に追ってください」

なかなか魅力的である。

自分の研究テーマを理解しているAIが、世界中の論文を調べ、新しい研究動向を見つけ、重要な発見があれば教えてくれる。

しかも、こちらが寝ている間にも働いてくれる。

研究者にとっては夢のような環境だ。

ただし、その夢には少々気になるところがある。

この研究調査担当AIは、いったいいつ仕事をやめるのだろうか。

24時間働くAIは、24時間考えるのか

仮にAIが本当に自律的に研究調査を続けるとしよう。

新しい論文を検索し、その内容を読み、過去の研究と比較する。研究の新規性を評価し、興味深いものが見つかれば、さらに関連論文を探す。

そこで新しい研究テーマを思いついたら、その可能性を検討する。そして、また別の論文を探す。

研究というものは、調べれば調べるほど新しい疑問が出てくる。終わりがない。

人間の研究者なら、途中でコーヒーを飲んだり、散歩に出かけたりする。場合によっては、今日はもうやめようと帰宅する。

ところが、AIには疲れたという感覚がない。

もし24時間、真面目に考え続けたらどうなるだろう。

膨大な計算資源が消費されるはずである。

もちろん、24時間稼働できることと、24時間推論し続けることは違う。必要なときだけ処理を起動する仕組みも考えられる。また、利用者が支払う料金と、サービスの内部で消費される計算資源も同じではない。

それでも、計算資源が有限であることに変わりはない。

ここで、少し奇妙なことに気づいた。

私たちはAIに、もっと賢くなってほしいと期待している。

より高度な推論を行い、より複雑な問題を解き、より多くの知識を獲得してほしい。

しかし、AIが自律的に働くようになると、考える能力を高めるだけでは足りなくなる。

いつ考えるべきかを判断する能力が必要になるのではないだろうか。

計算資源をどこに使うか

私は進化計算という研究分野に長く関わってきた。

進化計算は、生物の進化をヒントにして、さまざまな候補を生成し、評価しながら、よりよい解を探索する技術である。

例えば、新しい薬の候補となる分子を設計する場合、膨大な数の分子構造の中から、有望なものを探し出す。

しかし、すべての分子を詳細に評価することはできない。

計算時間も、計算資源も有限だからである。

そこで重要になるのが、どの候補を評価するか、どの領域を重点的に探索するか、そして、いつ探索を終了するかという判断である。

探索を続ければ、もっとよい解が見つかるかもしれない。

しかし、いつまでも探索していては、計算が終わらない。

この問題は、自律的なAIエージェントにもそのまま当てはまる。

研究調査AIが、見つけた論文をすべて精読する必要はないだろう。

最初はタイトルや要旨を確認する程度でよい。重要そうな論文だけを詳しく読み、さらに有望な研究について深い分析を行う。

しばらく新しい発見がなければ、調査の頻度を下げてもよい。

反対に、自分の研究に大きく関係する論文が発表されたら、集中的に計算資源を投入する。

これは単なる節約術ではない。

限られた計算資源を、どこに、いつ、どれだけ使うか。その判断自体が、知性の一部になる。

そんなふうに考えると、AIエージェントの研究は、従来の最適化研究とも深くつながっているように思えてくる。

考えないことを選ぶ知性

ここで、視点を少し変えてみたい。

これまで私たちは、AIがどれだけ考えられるかに注目してきた。

より長く推論できる。より複雑な問題を解ける。より多くの情報を処理できる。

しかし、自律的に働くAIにとっては、別の能力も重要になるのではないだろうか。

それは、考えないことを選ぶ能力である。

重要でない問題については、深く考えない。

新しい情報がなければ、同じ分析を繰り返さない。

十分な結論が得られたら、そこで処理を終了する。

今すぐ判断する必要がなければ、いったん保留する。

人間の世界でも、仕事ができる人は、すべての仕事に全力を投入しているわけではない。

何をしないかを判断することも、仕事の重要な部分である。

もっとも、人間の場合は、単に面倒だからやらないということもある。そこまでAIに学習してもらう必要はないかもしれない。

ただ、何もしないことと、何もしないと判断することは違う。

後者には、状況を理解し、優先順位をつけ、将来の可能性を見通す能力が必要になる。

もしかすると、これからのAIの知性は、推論能力だけでなく、推論を制御する能力によっても評価されるようになるのかもしれない。

発見は、寝かせることで育つ

この話を考えているうちに、私が取り組んでいる「発見手帳2.0」のことを思い出した。

発見手帳は、日常の小さな違和感や気づきを記録し、それを少しずつ育てていくための仕組みである。

何かに気づいたとき、その場で結論を出す必要はない。

とりあえず書き留めておく。

しばらくして、別の本を読んだり、誰かと話したり、研究を進めたりしていると、以前の気づきと突然つながることがある。

「ああ、あのとき考えていたことは、こういうことだったのか」

そんな瞬間がある。

では、AIエージェントが発見手帳を見守るようになったらどうなるだろう。

記録された発見について、毎日、何時間も考え続ける必要はない。

ある発見はいったん寝かせておく。

新しい論文が発表されたとき、別の発見が記録されたとき、あるいは社会で興味深い出来事が起きたとき、過去の発見との関係を調べる。

そして、何か新しい接続が見つかったときだけ、その発見を再び取り上げる。

そういうAIがあってもよい。

ここで大切なのは、AIが休んでいる間にも、世界は変化しているということである。

発見を寝かせることは、発見を放棄することではない。

新しい情報や経験が、その発見に別の意味を与えるまで待つことでもある。

もちろん、現在のAIが人間のように無意識の中でアイデアを熟成させているわけではない。

それでも、記録を保持し、新しい情報が現れたときに過去の発見を再評価する仕組みなら、技術的に考えることができる。

24時間考え続けるAIよりも、必要なときに過去の発見を思い出してくれるAI。

私には、そちらのほうが少し魅力的に感じられる。

AIにも、何もしない時間があってよい

AIエージェントが普及すれば、私たちはAIに多くの役割を任せるようになるだろう。

研究調査担当、情報整理担当、予定管理担当、さらには、新しいアイデアを一緒に考える相棒のような存在も登場するかもしれない。

そのとき、優秀なAIとは、24時間休まず働くAIなのだろうか。

それとも、必要なときに必要なだけ働き、それ以外の時間は静かに待っているAIなのだろうか。

人間は、机に向かって考え続けているときだけ、新しいアイデアを生み出しているわけではない。

散歩をしているとき、風呂に入っているとき、あるいは何も考えずにぼんやりしているときに、突然、問題の解決方法を思いつくことがある。

AIの待機時間に、人間の休息と同じ意味があるとは限らない。

しかし、常に計算を続けることだけが、知性のあり方ではないはずだ。

AIが賢くなるということは、いつまでも考え続けることではなく、いつ考えるのをやめるかを知ることなのかもしれない。

そして、もう一つ。

いつ考えるのを再開するかを知ること。

考えることと、考えないこと。

その間を上手に行き来できるAIが生まれたとき、私たちとAIとの関係も、少し変わってくるような気がする。

何もしない時間は、本当に何も生み出していないのだろうか。

GeminiのGemがスキルに変わる。AIは「使うもの」から「能力を組み合わせるもの」へ

GPTに視点を与えて、文章を生成させています

Googleから、Google Workspace for Educationの管理者向けに一通のメールが届いた。

Geminiの「Gem」が「スキル(Skills)」へ移行するという案内である。

さっそく自分のGeminiを開いてみたのだが、スキルらしきものは見当たらない。

どうやら、Google Workspace for Educationでは2026年10月13日から数週間かけて順次提供されるらしい。まだ少し早かったようだ。

それにしても、最近のAIは変化が速い。ようやく新しい機能に慣れたと思ったら、もう次の仕組みが登場する。こちらが追いかけているつもりでも、気がつけば追い越されている。

ただ、今回の変更は、単なる機能の追加や名称変更ではなさそうだ。

AIとの付き合い方が、少し変わろうとしているように感じる。

Gemからスキルへ。何が違うのだろう

これまでGeminiには「Gem」という機能があった。

Gemは、特定の役割や指示を与えて作成する、自分専用のAIである。

例えば、論文を評価するGem、授業を設計するGem、文章を校正するGemなどを作ることができる。

便利な仕組みではあるが、基本的には目的に応じて専用のGemを選び、そのGemと会話することになる。

今回導入されるスキルは、少し考え方が異なる。

スキルは、通常のGeminiとの会話の中で、必要な指示や作業方法を適用できる仕組みだという。複数のスキルを組み合わせて利用することもできる。

さらに、Geminiとの会話を通じて、新しいスキルを作ったり、既存のスキルを改良したりできるようになる。

例えば、研究論文を読んでいるとしよう。

最初は「論文を要約するスキル」を使い、次に「研究の新規性を評価するスキル」を適用する。そして、「研究ギャップを発見するスキル」や「新しい研究計画を立案するスキル」へと展開する。

それぞれの作業のために別のAIを呼び出すのではなく、一つの会話の中で、必要な能力を組み合わせていく。

もちろん、実際にどこまで滑らかに連携できるかは、スキルが提供されてから試してみる必要がある。

それでも、方向性は興味深い。

これまでのGemが「役割を持ったAI」だったとすれば、スキルは「AIが利用できる能力の部品」と考えられるのではないだろうか。

AIの能力を部品として蓄積する

私は、この変化には大きな可能性があると感じている。

これまで生成AIを上手に利用するには、プロンプトを書く能力が重要だと言われてきた。

何をしてほしいのか、どのような条件で実行するのか、どのような形式で出力するのか。

こうした指示を適切に与えることで、AIの出力は大きく変わる。

しかし、毎回同じような指示を書くのは、少々面倒でもある。

優れたプロンプトができたとしても、それが個人のチャット履歴に埋もれてしまうことも多い。

スキルという考え方は、この問題を少し変えるかもしれない。

ある作業を上手に実行できる方法が見つかったら、それをスキルとして保存する。そして、必要なときに再利用する。

さらに、そのスキルを改良し、別のスキルと組み合わせる。

これは、単にプロンプトを保存するという話ではない。

人間が蓄積してきた仕事の方法や判断の基準を、AIが利用できる形に整理していくことにもつながる。

研究室で考えると、なかなか面白い。

例えば、私が論文を読むときには、単に内容を要約するだけでは終わらない。

その研究の本当の新規性は何か。どこに弱点があるのか。既存研究とどのようにつながるのか。そして、そこから次にどのような研究を展開できるのか。

こうした問いを繰り返している。

この一連の思考をスキルとして整理できれば、研究室の学生も同じ視点を使って論文を読むことができるかもしれない。

もちろん、スキルを使ったからといって、誰もが優れた研究者になるわけではない。

料理のレシピを手に入れたからといって、すぐに一流の料理人になれるわけではないのと同じだ。

しかし、少なくとも、何を考えるべきかという入口を共有することはできる。

これは教育においても重要な意味を持つと思う。

大学ではどうなるのだろう

今回の案内は、Google Workspace for Educationの利用者に向けたものである。

2026年10月13日からスキルの提供が始まり、既存のGemは少なくとも2027年6月1日までは利用できる。その後、Geminiアプリに残っているGemは下書きスキルへ自動的に移行される予定だ。

ただし、下書きスキルは利用者が有効にする必要がある。

また、Google ClassroomやGemini LTIでは、Gemの代わりとしてGemini Notebookやガイド付き学習など、教師主導型のAIツールへの移行が推奨されている。

ここは少し注意が必要だ。

Geminiアプリではスキルへ移行する一方、教育現場向けのサービスでは別の仕組みが用意される。すべてが単純にGemからスキルへ置き換わるわけではない。

しかし、もっと大きな視点で見ると、大学にとって興味深い変化が起きようとしている。

これまで大学での生成AI活用は、個々の教員や学生が、それぞれ工夫して利用することが中心だった。

ところが、スキルという仕組みが普及すると、大学や研究室が持っている知識や教育方法を、再利用できる形で蓄積することが考えられる。

例えば、学生のレポートに対して答えを与えるのではなく、考えを深める質問をするスキル。

研究計画の弱点を見つけ、改善の方向を示すスキル。

異なる研究分野を結びつけ、新しい研究テーマを探索するスキル。

こうしたものを教員が作成し、学生と共有できれば、教育のあり方も変わるかもしれない。

一方で、誰がスキルを作り、その品質を保証し、どのように更新するのかという問題も生まれる。

AIの利用を個人任せにするのではなく、組織としてどのように設計し、管理するか。

大学にとっては、技術導入以上に、こちらの方が難しい問題なのかもしれない。

AIは賢さを競うだけではなくなる

少し視点を変えてみたい。

これまで生成AIの競争は、主としてモデルそのものの性能を中心に進んできた。

どちらのAIが難しい問題を解けるのか。どちらが優れたプログラムを書けるのか。どちらが高度な推論を行えるのか。

もちろん、モデルの性能はこれからも重要だろう。

しかし、スキルという考え方が広がると、別の競争が生まれるように思う。

それは、AIにどのような能力を持たせ、それらをどのように組み合わせるかという競争である。

一つの非常に賢いAIが、あらゆる仕事をこなす。

そんな未来も考えられる。

しかし、さまざまな能力を部品として蓄積し、必要に応じて組み合わせるという方向もある。

こちらは、ソフトウェア開発の歴史にも少し似ている。

かつては一つの大きなプログラムの中に多くの機能を作り込んでいたが、次第にライブラリやモジュールを組み合わせる方法が普及した。

AIでも、同じようなことが起きるのだろうか。

ただし、現在のスキルが、そのまま独立したプログラムのように確実に動作するわけではない。自然言語による指示には曖昧さもあり、モデルによって結果が変わることもある。

この違いを理解した上で、スキルをどのように設計し、検証するかが重要になるだろう。

そして、人間は何を学ぶのか

ここまで考えて、もう一つ気になることがある。

AIにさまざまなスキルを持たせられるようになったとき、人間は何を学ぶべきなのだろうか。

文章を書くスキル、プログラムを作るスキル、論文を分析するスキル。

これまで人間が時間をかけて身につけてきた作業の一部を、AIが実行できるようになる。

では、人間はそれらを学ばなくてもよいのだろうか。

私は、そう単純な話ではないと思っている。

例えば、AIが論文の弱点を指摘してくれたとしても、その指摘が本当に重要なのかを判断するには、研究に対する理解が必要になる。

AIが新しい研究テーマを提案してくれたとしても、それが面白いと感じられるかどうかは、人間の好奇心や問題意識に依存する。

AIがスキルを持つほど、人間には別の能力が求められるのかもしれない。

何を問うのか。

何を大切にするのか。

何に違和感を覚えるのか。

そして、まだ存在していないものを、なぜ作りたいと思うのか。

こうしたことは、スキルとして簡単に切り出せるものではなさそうだ。

GoogleのGemがスキルに変わる。

一見すると、生成AIの小さな機能変更にすぎない。

しかし、その背景には、AIを一つの完成された知能として使うのではなく、能力を蓄積し、組み合わせ、育てていくという考え方が見えてくる。

AIの能力をどこまでスキルとして外部化できるのか。

そして、そのとき人間の知性は、どこに向かうのだろう。

まだ私のGeminiにはスキルが届いていない。

まずは10月13日以降、実際に触ってみることにしよう。

新しい機能が届くのを待ちながら、考えることだけは先に始められるのだから。