学部生の学生で廣安他、大人にメールするときには下記の点をチェックしてメールしてください。
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良いチームを作ろう:「監督と選手は対等ではない」
ワールドカップのメンバーになりたければ、サッカーが好きだとか、個人的な能力が高いだけではだめであろう。
監督に選んでもらわないといけないから。
監督の選択する方向性を具現化するチームに最大限に貢献することが必要だろう。
いくら、個人能力が高いとか、現在の監督の方向性は間違っていると声高に叫んでみても、選んで使ってもらわなければ意味がない。
そういう意味では監督と選手は対等ではないのだ。
監督の目指すサッカーなり人生なりを理解する態度がない限り自分の能力を発揮する場所さえ与えられないし、良いチームにもならない。
生体リズムと健康
生体リズムと健康 [京大人気講義シリーズ] | |
若村 智子 近藤 雅之 原田 哲夫
丸善 2008-01-31 |
現在、京大の若村先生と実験を遂行中である。
過酷な実験だけど、非常に勉強になる。
その若村先生の生体リズムと健康。
テキストというよりも非常に楽しい読み物。多くの日本人が生活のリズムや体のリズムについて興味を持っているわけで、その基礎的知識を網羅したこの本書は生体のリズムについて知る必読書と言えよう。
これから若村先生の研究が進めば、もっと建築や部屋の設計も変わってくるだろう。
そして、生体のリズムに対してはそれを変化させる本当に多くの要因があり、光環境とか、食事の影響とかはこれからもっともっと注目を浴びていくことだろう。
東日本大震災 ほしいものリスト
Amazonが東日本大震災 ほしいものリストを公開している。
相手先がほんとうに記述された先であるかどうかをもう少し簡単に確認できるか、amazonが保証してくれると本当に良いシステムではないかと感じた。
ただ、もう少し力が入ればもっとよいシステム、特にICTを活用した良いシステムになるのに残念である。 特に、物資が行き渡っているところと行き渡ってないところのギャップをこういうシステムはうめてくれるのではないかと思う。
コメントでも書いてあったが、高額なものが買い残る(?)場合が多いようなので、grouponのシステムやら、amazonカードを購入して、必要なものが購入できるようになるとさらに素敵である。
楽天ではたすけ愛ちゅうのをやっている。
こちらはもっと規模が小さそうだが、人が介入しているのでもう少し安心。今度、試してみよう。
各市では、支援物資の提供を呼びかけている。
石巻市
多賀城市
気仙沼市
山元町
南三陸町
こういうところは明確に必要なものと、数が記載されているので、手助けしやすく感じる。クロネコヤマトやらamazonやら楽天やらコンビニが仲介してくれると、もう少し敷居が低くなると思うのだがどうだろう。
また、個人からの受け入れを遠慮しているところもあるので、数をまとめてくれると良いのだがなあ。特にamazonとかは人さえ出してくれば上のリストと連携できる気もするのだが、難しいところもあるのだろう。
山下洋輔の高校の先生
今月の私の履歴書はジャズピアニストの山下洋輔だ。
やはり天才は小さな頃からその片鱗を見せておかなければならない、ちゅうか見えてしまうものなのだなあとか、もうすでにいろいろあるわけでこれからの展開が非常に楽しみ。
さて、現在は麻布中学から麻布高校までのお話。
それにしても、非常に多彩な先生がいらっしゃって、その先生方が非常に良い教育をされたことがわかるところがすばらしい。
先生の名前を憶えているところがすごいし、いろいろな教科の先生が、それぞれの個性をお持ちで、それぞれの教科を超えて生徒に人生について教育的な指導を与えているところがすばらしい。
そういう意味では、私の高校もひけをとらずにすばらしいと思うわけであるが、書きたいのは現在、やっていること。
今の日本における教育的環境は
1) 高等教育までが大衆化したこと
2) 子供の人数が劇的に減ったこと
3) ICT革命後のグローバルな競争に対応する必要があること
により大きく変わった。
ちゃんと教える前にシラバスを書き、採点基準も明確にし、教えるべきことを教えたかをチェックし、学生からもアンケートをとって情報収集して、授業もきちんと15回やって、試験もきちんとやりなさい、と指導される。
FDのメカニズムが入っているかということも大事だし、授業をやれと言われるわりには、学生を介護体験やインターンシップに行かせることも望まれている。
場所によっては、特定の歌を歌わなかったらこっぴどく怒られて仕事を取り上げられる高校も出てくるようだ。
山下洋輔をはぐくんだ高校、その先生方は非常にすばらしいし、そのようになりたいものだと強く思うけれども、現在、いろいろと議論され時間を費やしていることがそこにつながる強い気持ちがもてない。
じゃあどうすると言われても代替案がないのであるが(本当はあるけど)、いろいろと考えさせられる今月の私の履歴書。
良いチームを作ろう:「システムより1対1の力」
まずはシステムより個の力-。本田の「個」へのこだわりが表れた。ザッケローニ監督の「代名詞」と言われる3-4-3の約束事を意識しすぎるあまり、自慢の積極的な攻撃サッカーが影を潜めたペルー戦の前半。システムを優先し、持ち味が消えては本末転倒だ。世界で勝つためにチーム戦術が必要不可欠なことは当然理解した上で、あえて「個」の重要性を説いた。
Nikkan Sports
まずは、個々の力をつけて、システムを理解してシステムを機能させるレベルに高めないといけない。
個々の力は、環境によって左右する。環境を信じて、環境に貢献することで、個々の力は高まっていく。
次にシステムにとわれることなくさらにそれを飛躍させるフェーズが必要となる。
それには個々の力を発揮させることが重要だ。
監督の意向をくみ取りながら、守りながら、あえて破りながら、飛躍させていく。
むずかしいタイミングとバランスだが、それらが作られていかなければ勝負に勝てないのだろう。
新学習指導要領・生きる力
メモ
戦後8度目の改訂の学習指導要領が今年から始動している。
小学校の授業時数は5645コマ、中学校は3045コマとなる。
小学校から。小学校1年生は順調にいくと2023年に大学生になる。これが完全、新学習指導要領世代。
新しい学習指導要領は、子どもたちの現状をふまえ、「生きる力」を育むという理念のもと、知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの育成を重視しています。
これからの教育は、「ゆとり」でも、「詰め込み」でもありません。
次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。そのような思いで、新しい学習指導要領を定めました。
「生きる力」を育むためには、学校だけではなく、ご家庭や地域など社会全体で子どもたちの教育に取り組むことが大切です。
子どもたちの未来のために。
新学習指導要領、スタート。
文科省
小学校の授業時数は6年間で5645コマ、中学校は3045コマとなる。
中学から、今のカリキュラムで受けてくるのは2018年度に入学の学生である。高校からの学生は2016年度、入学である。
この学習指導要領が本当のところどの程度、学生に影響を与えているのか不明だが、もし影響があるのであれば、まずここ5年をどのように対応するのかを考える必要がある。
さらに、その後の対応をどうするかも考えどころだ。
このカリキュラムの目的を本当に推し進めようとすると、今の受験だとか、授業のスタイルとかを考える必要がどうしてもある。
一方で、理系の研究室に配属されてからのスタイルはどちらかというとこの生きる力を教えるところが大きい。
ちなみに僕らの世代は「現代化カリキュラム」。1971年から始まった。
小学校6年間の総授業時数は5821コマで、中学校3年間の総授業時数は3535コマ。
その後に続くのが「ゆとりカリキュラム」。
1980年から始まって、大学には1992年に入ってきている。
小学校6年間の総授業時数は5785コマで、中学校3年間の総授業時数は3150コマ。
それから新学力感が始まる。
1992年に始まって、大学には2004年から入ってきている。
小学校6年間の総授業時数は5785コマで、中学校3年間の総授業時数は3150コマ。
その次が ゆとりカリキュラム。
小学校6年間の総授業時数は5367コマで、中学校3年間の総授業時数は2940コマ。
2002年に始まって、小学校からのゆとりカリキュラムを受けた学生は2014年に大学にやってくる。
2011年は小学校4年生からのゆとりカリキュラムだ。
Pogoplug
Pogoplug のハードウエアを購入して設定。
Pogoplugは、DropBoxやSugarSyncのようなオンラインストレージを自前で構築できる家庭用ハードウェア
http://ascii.jp/elem/000/000/585/585724/
自身のPCにソフトだけインストールして、そのPCを外から見ることができるようにすることもできる。
ハードウエアの方は、市販のUSBのそとづけHDDをそのpogoplug ハードウエアに接続したら、もう外からそのHDDを除くことができるようになる。
特徴その1:
設定がおそろしく簡単。
特徴その2:
一番の特徴は、安いということだ。
日々の管理コストはとられない。自分でネットワークを持っていて、HDDなどがすでにある場合には圧倒的に安い。
quanpよりもたくさん容量が使えて安い。
quanp
特徴その3:
ローカルなPCに専用のソフトをインストールすると、ローカル用のドライブにも見えるし、デスクトップやその他のフォルダも外部から見えるようになる。
特徴その4:
長いフォルダ名を相手にわたしてシェアフォルダにすれば、ファイルの転送もできる。
http://k-tai.impress.co.jp/docs/column/stapa/20101101_403789.html
不安その1:
設定が簡単すぎるが、proxyなどは設定するところがないので設定可能な条件がある。
不安その2:
ネットワークまわりに、すかすかなことが必要なようで、なかなか不安。
ネットワーク構成: インターネット・サービス・プロバイダのモデム>ルーター>Pogoplug
ご使用のルーターで DHCP 機能が有効になっている
インターネット・サービス・プロバイダを含め、UDP トラフィックがネットワーク上でフィルタされていない
ネットワーク上のダイナミック DNS を有効化する
URL およびポートに Pogoplug がアクセスできる必要がある
service.pogoplug.com:80、service.pogoplug.com:443、pm1.pogoplug.com UDP ポート 4365
http://support.pogoplug.com/entries/20035858-pogoplug
不安3:
なんか設定がすげー簡単なんだけど、ファイルのやりとりをすべてこの米CloudEngines社にとられているような気もする。
不安4:
自分でHDDなどを用意するからにはバックアップは自身の責任。
第83回 MPS 研究会
岡山県立大学 情報工学部棟 2階 にて 情報処理学会 MPS研究会が開催されました。
研究室から
病理画像における癌胞巣特徴量の抽出アルゴリズムの検討
山口浩明,廣安知之,三木光範,吉見真聡,小掠真貴,福本学(同志社大学)
の発表が行われました。
ちょっとついていけなかったのが残念でしたけど、無事、発表終了。
これで私が担当している修士1年の学生は、日本語での学会発表はすべて終了。
次は、国際会議です。
第50回 日本生体医工学会大会
東京電機大学の神田校舎で開催された第50回 日本生体医工学会大会に参加してきました。
学生が2件 発表しました。
O2-6-5 認知的葛藤場面における近赤外分光法を用いたストループテストによる左右脳半球の検討
福原 理宏( 同志社大学工学部 インテリジェント情報工学科)
O2-6-6 繰り返しタスクに対する脳血流変化のfNIRS による検討
田辺 竜也( 同志社大学大学院工学研究科 情報工学専攻)
nirsはまだまだ利用が進んでいないので、いろんな質問がでてよかったです。
一方で、脳波計の研究はたくさんあって、いろいろと利用できそうですね。
「医用画像処理・表示」
臨床心理
生体計測
「先端情報通信技術を医療機器に応用するのはなぜ難しいのか」
「世界市場への医療機器開発と販売のための行動提言」
などのセッションに参加しました。
これまで培ってきた情報処理やHPCの技術がまだまだ理解されていなくて、使い道がたくさんあるように感じました。
情報数理シリーズ バイオインフォマティクス
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著者より謹呈、御礼。
まさにバイオインフォマティクスのイントロの授業を行う前日に到着。ありがたい。
まず、in silicoというタイトルがついているところに、著者の意気込みが感じられる。
silicoで行う科学なのだ、バイオインフォマティクスは。
それからいたるところで、ウェブのいろんなサービスを利用する例が掲載されている。
非常に授業に適したテキストだ。
対象としていることがらがバイオインフォマティクスなので、しょうがないが、少し時間がたつと情報が古くなるのが欠点であろうな。
電子書籍にはやくしてもらって、学生に配りたい一冊だ。
同志社大学 FDハンドブック
Faculty Development の活動をいろんな大学でやっている。
本学も精力的にやっている。
その成果として、FDハンドブックを作成した。
一番の成果は、本学の教員が半自立的に作成に協力していただいたことだ。
ほとんど説明なく本学の仕組みをみなさんがご存じだったことに正直、驚いた。
私は祈り続ける
私は神を信じるものではない
そして私は祈り続ける
広島でそして長崎で被爆した人たち、今でも苦しんでいる人たちのために祈る
つらさを想像し、二度とおこらないことを祈る
サリン事件や通り魔、人違いでさされた友人、多くの突然ふってわいた災難でなくなった人、ご家族、心が傷ついた人のために祈る
どうしてそんなことになったのか決してわからないけれども少しでも痛みがやわらぐように祈る
阪神大震災を始めとして天災で傷ついた人、無くなった人、今でも困った人のために祈る
何もできずにひたすら祈るだけだが、それでも祈る
私は家族のために祈る
子供のため、妻のため、両親のため、友人のため
皆に小さな幸せでよいので、それが続いていくことを祈る
私は、私に歩み寄ってくる学生や卒業生のために祈る
私と時を同じくしたときに得たものが、塩となって、大きな実を結び、幸せに暮らしていけることを祈る
今でも各国で戦争が起こる
やっつける方と戦う方の言い分がわからない時が多々あるが、なんとか折り合いをつけて、困ったことが起こりませんように
祈るばかりである
今回の大きな地震を起点とする数々のつらいこと
自分ではできることをできるだけやるだけである
今は祈ることしかできない
一つでも命がたすかりますように
困った人の苦しみがすこしでもやわらぎますように
安否をたずねていない人が無事でありますように
間違った情報が流布しませんように
みんなが混乱しませんように
問題が早く解決しますように
この祈りは祈りつづけなければならない
神よどうか少しでも、困っている人、つらい人の上に楽しいこと、幸せなことが舞い降りますように。
東日本巨大地震について
3月11日(金)に発生した三陸沖を震源とする東日本巨大地震により、被災された皆様やそのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。研究室や同志社大学の卒業生も無事でありますように。
勉強しなくて成功をつかんだと思っている人
勉強をせずに、基礎的な力をつけずして、自分は成功している、うまくやっていると思っている人が時々いらっしゃる。
確かに、うまくやっていると思っているのだから、本人はそれはそれで良いと思う。
しかしながら、だから、やろうと思えば可能だったり、経済的に余裕があるのに、「勉強しなくてもよい」「学校へ(大学)いく必要はない」「基礎力は必要ない」と自分以外に押しつけるのは、下記の2点の理由によってよろしくないと考えています。
1) 勉強してたり、基礎的な力をつけていればもっと大きな成功やもっとうまくやれる可能性がある。
自分で車輪の再発明をしなくてもよいかもしれないし、別の車輪を見つけることもあるだろうから。
車輪を見つけることができれば、もっとたくさんの荷物をもっと早く運ぶことができる。
勉強や基礎力は、スポーツのランニングといっしょで、見えないテコの力となる。
2)その人の特有のパスだったのかもしれない
うまくやれたのは、その人の特有の環境、パスだったのかもしれない。勉強必要なしと言っている相手が同じパスを通れるとは限らない。一方で、勉強や基礎力は、(再度)スポーツのランニングといっしょで、見えないテコの力となる。
日経の私の履歴書は安藤忠雄である。
どうしてこんなに一人で勉強できたのであろうか。文面からも鬼気迫るオーラがある。
40歳台の人事の方々は、自分の大学時代を振り返り、大学での勉強は必要なし、大学生は暇だ、セミナー来いと思っている節もあるのではないかと思う。
でも最近の学生君は、本当にグローバルな競争を強いられているんですよ。
大学のカリキュラムや説明や実行方法も僕らが学生の頃とは大きく変わりました。
学生の諸君も本当に忙しいし、まじめだし、よく授業に出ている。
そして、日本の学生が就活でセミナーに日参して精神的に参っている間に、アメリカの大学院ではきちんと授業が行われているんだよね。そして、そこを卒業したアジアの人たちと将来、競争しなければならないんだよね。
将来へのくさびをうつ
どんなに考えてもわからないことがある。経験したことがないこと、起こったことがないことにはどうしても、どう考えてもわからない。それでは、対処法がないかと言えば、2つの方法がある。その一つは、結果や将来がわからなくとも直感でよい選択をする能力を高めることである。そんな能力あるのかと言えばあるのである。将棋の羽生さんなんかこの能力が優れているから強いのである。この能力をセレンディピティというのである。もう一つは、その先々でうまく対応してよりよい状況を作るのである。これができればどこだって幸せになれる。自分で幸せにするからである。さてはて、できるだけ知識を詰め込ませても、目先の善し悪しをうまく選んでもこれらの能力がなければうまくくぐり抜けていけないし、幸せにもならない。就職先もそうである。どんな会社なのか小手先の調査ではわからない。将来どんな会社になるのかわからない。結婚もそうだ。どんなにいろんなことを考えたとしても、困難や試練が訪れるであろうし、子供が生まれたらどんなことになるのか、老後はどうなるのかなんて、そのステージになってみなければ決してわからないのである。しかるに、我々は知識をつけさせることも必要であるが、長きにわたって幸せな人を輩出したいのであれば、それだけではなくて、直感力であったり、そのステージに行ってから自力でその場をよりよくする力を身につけてもらったりしたいのである。
日本人が総おたく化している件
気が重い原稿がいくつかあってなかなか筆がすすまない今日この頃。
なぜ、Facebookだけが、キャズムを楽々と超えるのだろうか?
という記事を読む。
まずマーケティング用語で上記のブログにもでてきているテクノロジー・ライフサイクルにおけるキャズム理論(Geoffrey Moore,1991)はかならず押さえておかなければならない。
・イノベータ- (2.5%):技術に惚れて採用するハイテクオタク?
・アーリー・アダプター (13.5%):技術ではなく実利面に惚れて初期採用するビジョナリー
・アーリー・マジョリティ (34%):先行者の成功事例を確認してから採用する実務者?
・レイト・マジョリティ (34%):みんなが使ってから使う慎重な人々?
・ラガード (16%):ハイテク嫌い
広く使われるようになるためには、キャズムを超えてメインストリームへでていかなければならないのだけれど、アーリーアダプターに合わせた製品を作っているとメインストリームに対応できる製品ができないというお話だ。
中島さんは2007年には日本の携帯をガラパゴスで進化したみたいだと説明していた。
日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島
一方でfacebookが日本でははやらないらしい。世界では何故はやっているのかということで、実名性であるとかいろんな議論がある。
一方で、いざ使ってみると本当につかいずらい。
設定をどうやるのかとかわからないし、アプリはどんなのを使えばよいのかわからないし、わからないだらけである。
しかしこれは、mixiやらなんやらですでに、日本人がそういうサービスになれているからだと思われる。やったことないけどモバゲーやらgreeやらのゲームもさぞかしすごいんだろう。
となるとハードウエアが極端に進化して、世界標準とは違ったものができているということが盛んに言われていてガラパゴス化であるとか、ガラケーとか称されてきた。これは、ハードウエアが世界とは違った流れの中で進化しているという説明であった。
「なぜ、Facebookだけが、キャズムを楽々と超えるのだろうか?」というブログを読むと、キャズムを超えている国が102カ国もあるということに驚く。こんな不便なサービス&ツールなのに。
となると、全世界的にみると日本で過ごしているとユーザ自体がほとんどがアーリーアダプタになっちゃうのではないかという仮説が思いつく。
日本全国民がアーリーアダプタになっちゃうので、マジョリティを対象としたサービスや製品では満足できなくなるのだ。ようするに、日本人が全員、世界的にみるとおたくになっちゃうのではないかというお話で、おたくからみるとマジョリティ製品では満足できない。
器用な人がおもしろいサービスを作製し、そこそこマーケットがあるので発展して、日本人が使うようになり、知らず知らずのうちに使っていると世界的にはおたくになってそれ以外のださいサービスを受け入れられなくなる。日本ではおたくを対象とした製品しかますます出せなくなるし、コストの製品しか日本人は受け入れられなくなる。
これこそがガラパゴス化ということか。
今まではガラケーのハードウエアが、イグアナなイメージだったんだけど、使っている僕がイグアナだったんだなあという感想です。
バブル崩壊
池田信夫のブログに「財政危機のいつか来た道」というのがあがっていて、1992年頃を振り返っている。
このブログの中身に対する議論はさておき
いま財政に起こっている。政府に1000兆円の債務の支払い能力がないことは明らかだが、借り換えを続けられる限り流動性は回る。
というのは正しいであろう。そして最後に
私の印象でいうと、事態は拓銀・山一の前夜に似てきたような気がする。
と締めくくっている。
wikipediaによると
景気については、景気動向指数(CI)をみると、1990年10月をピークに低下傾向となり、1993年12月まで低下した。地価は、1991年秋頃(東京、大阪の大都市圏では90年秋頃から既に始まっている。)に、路線価も1992年初頭をピークに下落していった。
(途中略)
「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬にして起きた現象ではない。
(途中略)
バブル崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象である。
(途中略)
一般的にバブル絶頂期とは、景気が良いと一般大衆に認識され始めた1988年頃から、景気が悪くなってきたと認識され始める前の1992年頃までを指すこともできる。
とある。
すでに1990年から数字的にはバブルがはじけていたというのが驚きである。1992年ごろにははじけていたという実感が世の中にはなかったからである。ただ、はじけるかもしれないという強い予感が世の中に満ちあふれていたのはよく憶えている。
1992年に留学にいったからである。
少なくとも就職活動を行っている学生もとる方も1993年の4月の時点では、バブルがはじけた実感はなかったはずだ。
そのときに、アメリカからいくつかの企業に就活について国際電話をしたのでよく憶えているのだ。
しかし、その半年後は状況が劇的に変わっていた。売り手市場が完全に終わっていたのだ。
国の借金をどのようにしていくのか糞詰まりの状況だ。
痛みは求めないが、ばらまきは求めるから。
1000兆円はかえせねーな、やばいかもしれないという空気は、1992年に本当に似ているように思う。
上記の話しで言えば、1992年はすでにバブルがはじけていたわけで、このときに売り抜けていれば痛い目にはあわず、まだまだ期待すると命がなくなるというのがバブルの時の教訓である。
談春は芝浜を封印するつもりなのかも
談志 最後の落語論 | |
立川談志
梧桐書院 2009-11-17 |
談志 最後の落語論 読了。
大学で何を教えるかとか、京都での大学の意義とかいろいろと考えるところがあり、もやもやしてしまうのだが、談志の弟子の談春は芝浜を封印するつもりなのかもしれない。
邪推しすぎかもしれないけど。
ことの発端は、落語好きの私の親友につれられて、談春の「芝浜」を初めてみたのだが、終わってから彼が
話としては面白いけれど、でもあまり才能がないのに博打をやってしまったり、酒を飲んでしまったりする者は浮かばれないではないか、そういう人たちを描くのが落語ではないか? 腕がよくない者はどうしたらいい?
という質問をしてきて(ことの詳細はこちら)、僕としては人は誰しも何かの取り柄を持っている、もっているはずだという答えをしたと思う。
しかし、この本では、
いいほうの業の肯定を人情噺と称い。。。 曰ク「文七元結」「子別れ」「芝浜」などなど
それは違うなあと若き俺様はどこかでそう感じ、そのまま今日まで生きてきた。
とある。
えー 全否定ですか。
それから最後の方に、芝浜をちょっと変えたアレンジでやっている話しがあって
「もう嫌だ、よそう。お前さん、酒飲んじゃおう。ね、飲もう」この女房のセリフは、己に女房が乗り移って言っていたようでもあった。「こんな落語、嫌いだよ」とネ。
とある。
こないだの談春は、財布を拾う情景をはしょって、最後の女房とのやりとりまでいっきに聞かせた。
こんな落語、嫌いだよといったのかもしれない。
そして3月に 談春は子別れをやる。
いいほうの業の肯定する「文七元結」「子別れ」「芝浜」3連ちゃんだ。
落語は人間の業であると談志は言い、談春は談志の弟子である。落語の極みを目指している談春は、もしかしたら「文七元結」「子別れ」「芝浜」を封印するかもしれない。
考え過ぎかもしれないけど。
日本の書店も10年で3割減ってしまった
渋谷陽一の「社長はつらいよ」から
ドラッガーの論をもってくるまでもなく、人数からだいたいの売り上げがわかる産業はこれからきつい。
大学もきつい。
このページから類推すると
10歳から24歳の人口は平成12年に22,486,000人。平成22年には18,472,000人。
だいたい20%は減っている。
2割から3割は関連の市場がしぼむのはしょうがない。