学生は他人の発表に質問をしなければならない理由

学生は他人の発表に質問をすることによって、自分を磨かなければならないと思っています。
その質問がしょうもなくてもだ。
– 情報とは、一期一会だと思うこと。もしかしたら、その情報に出会うことはないかもしれない。だからこそ、脳に刻み込むことが重要になる。
– 上記の理由により、その発表の本質だけは把握できるようにする。何であって、何でないのか、そこが理解できるように質問する。
- 将来の仕事は、けっして楽しいと思われる仕事だけがふってくるわけではない。だけれども仕事にするためには、その仕事を楽しくして、自分のものにする必要がある。そのためには、なんにでもすぐに興味が持てるような訓練が必要だ。
– 今、興味のない対象でも、知識として保管しておいて、将来リンクをかけることができるようにするために、質問しておくことが必要。引き出しが多いほうが絶対に有利になる。

正師を得ざれば学ばざるに如かず

このケーキングスクールに「正師を得ざれば学ばざるに如かず」という道元の教えがかかれている。
なんという、ストイックなケーキングスクールであろうか。

修行にとって最も大事なことは、正しい良き指導者を得る事である。
道元禅師は「学道用心集」に「正師を求むべき事」という一章を起こして、悪い指導者に惑わされると取り返しがつかなくなる

第54話 正師を求めること
ということである。
私は悪い師である。私についてきてはいけない。
では、どうやって良い師を見つけるのであろうか。そこが重要なポイントである。生涯のパートナーを見つけること、天職を見つけることも実は同じ作業だったりする。

「がんばる」と「モチベーション」

香里奈があちこちのテレビにでてきて映画「ガール」の宣伝をしている。この映画は、「本気で頑張るGIRLたちに贈る」映画だそうだ。東宝映画
以下の文は「がんばる」だけが関係しているだけで、映画も原作も、がんばっている女性も、がんばっているみんなも、がんばっている俺も敵にしているものではない。
今、みんなみんながんばっている。
うちの子供もやらなきゃいけないことがたくさんあり、学生も大きなプレッシャーの中でよくやっている。
俺もそれなりにがんばっているつもりだ。
がんばる時代」というブログにすごい人が登場する。
「毎朝5時に起床し、ランニングをした後に出勤し、厳しい営業業務をこなし、夜は税理士の資格を取るべく学校に通い、深夜に帰宅し、そして3人の子供を育てているという。」
このように、確実にアウトプットを出し、周りからも「がんばっているね」と評価される人がいる。
一方で、「がんばっている」と言っているが、何もできない人がいる。
最近はやっているのが、他人が判断すべきものを、自分で判断することだ。
成績は、学生が判定するものではなく、教員が判定するものだ。それがわかっていない学生が多く存在している。
初めて就職活動で、他人に判断されて困っている学生が多くいる。何に困っていることさえ理解できない場合が多い。
就職活動で、自分はうまくいったという。自分で判断するからである。でも、落ちてしまうのであれば、うまくいっていないのではないか?
がんばることより、モチベーションを持ち、結果を出すことが重要である。

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか ダニエル・ピンク 大前 研一

講談社 2010-07-07
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モチベーションこそが行動を生み、驚くべきアウトプットが生まれる。
行動し、アウトプットを出している人は、多くの場合、私と違って「がんばっている」と言わない。

2012-05-27

金環日食やら、同僚の先生が本当に突然なくなったり、Windowsコンソーシアムのイベントやらいろいろあった1週間でした。

並列遺伝的プログラミング

遺伝的プログラミング

遺伝的プログラミング(Genetic Programming:GP)は,1992年にStanford大学のJohn Kozaらにより提案された進化論的計算手法である.GPは,遺伝的アルゴリズム(Genetic Algorithms:GA)の遺伝子型を構造的な表現(木構造,グラフ構造)が扱えるように拡張したものである.GPはプログラム生成や学習,推論,概念形成などに応用することを目指している.具体的には,プログラムを進化させて目的とするロボットの制御や構造物の設計を試みている.

http://is.doshisha.ac.jp/isreport/entry/312
並列処理
David Andre and John R. Koza. A parallel implementation of genetic programming that achieves super-linear performance. Information Sciences: an International Journal, 106:201–218, 1998.
GPの並列処理、島モデル
D. Robilliard, V. Marion, and C. Fonlupt. High performance genetic
programming on GPU. In Proceedings of the 2009 workshop on Bioinspired
algorithms for distributed systems, pages 85–94, Barcelona,
Spain, 2009. ACM, New York.
マスタースレーブモデル GPU
GPUを利用した並列処理は山ののようにある
Darren M. Chitty, A data parallel approach to genetic programming using programmable graphics hardware, Proceeding GECCO ’07 Proceedings of the 9th annual conference on Genetic and evolutionary computation Pages 1566-1573 , ACM New York, NY, USA ©2007
GPUを利用した並列処理, データ処理
D. Robilliard, V. Marison-Poty, and C. Fonlupt, Populaiton parallel GP on the g80 GPU, In Proceedings of the 11th European Conference on Gentic Programming. Springer, 2008
M. Oussaid`ene, B. Chopard, O.V. Pictel, and M. Tomassini, “Parallel genetic programming and itsa pplication to trading model induction”, Parallel Computing 23 (1997), 1183–1198.
Master Slave model
Garnett Wilson, Wolfgang Banzhaf,Deployment of CPU and GPU-based genetic programming on heterogeneous devices, Proceeding GECCO ’09 Proceedings of the 11th Annual Conference Companion on Genetic and Evolutionary Computation Conference: Late Breaking Papers Pages 2531-2538, ACM New York, NY, USA ©2009
Arpit A. Almal, et. al., Using genetic programming to classify node positive patients in bladder cancer, Proceeding GECCO ’06 Proceedings of the 8th annual conference on Genetic and evolutionary computation Pages 239-246 ACM New York, NY, USA ©2006
ポイント

  • どのような論理モデルを採用するのか?
  • 論理モデルを変えると並列処理を行わなくてもモデルが変わっているので、必要な精度を求めるために必要な計算量が異なる
  • そのため、逐次モデルと並列の論理モデルの計算量の違いが必要である
  • 今の主流はGPU
  • 分散メモリ型の並列計算機(クラスタなど)での並列処理はやりつくされている。

第51回 日本生体工学会大会


第51回 日本生体工学会大会が博多の国際センターで開催された。
研究室からは、
01-09-4 音環境が数字記憶課題の成績と脳血流変化に及ぼす影響の検討 M1 星野
01-09-5 ストループテストによる脳血流変化の被験者分類の検討 M2 福原
01-09-7 PVTとGO/NOGO Taskにおける視覚刺激と聴覚刺激に対する脳血流変化の違いの検討 M1 福島
01-10-4 NIRSとによる情動刺激に対する効果の検討 M1 林
が発表した。
今年で2年目の参加。うちの研究室も今年は志望してくれる学生が多くいて、がぜんやる気がでてきたよ。
また、研究室の方向性も見えてきた。
今年の発見は再生医療。
この分野は情報処理がとりわけ効果的に効く分野ではないかと思った。たくさん、共同研究できるとよいのになあ。
また、構造を作るところでは、いろんな技術がでてきているようで、機械工学出身としては萌える。
博多ということで、ラーメンたくさん食べましたが、吞みはちょっと準備がたりず甘かったな。
来年は大阪。
たくさん学生つれて参加します。

児童に突っ込む車

これもひどい。
あまりにひどい。無免許とは。
亀岡登校事故 小2女児と妊婦死亡

亀岡市篠町で23日朝、集団登校中だった安詳小1~5年生の児童ら10人の列に軽乗用車が突っ込んだ事故で、京都府警は重体だった2年の小谷真緒さん(7)と重傷だった妊婦の松村幸姫さん(26)が死亡したと発表した。児童2人が意識不明の重体、6人が重軽傷を負った。府警は同日、運転手の無職少年(18)が無免許と知りながら運転させたとして道交法違反(無免許運転)ほう助容疑で、同乗していた南丹市の私立大学1年の男子学生(18)と亀岡市の男子専門学校生(18)を新たに逮捕した。

京都新聞
前回
“児童に突っ込む車” の続きを読む

人に突っ込む車

これはひどい。
ひどすぎる。
「祇園で車暴走、歩行者7人死亡11人重軽傷」

12日午後1時10分ごろ、京都市東山区大和大路四条交差点に、赤信号を無視した軽ワゴン車が進入し、横断歩道や交差点北の大和大路通を歩いていた 男女計18人を次々にはね、逃走した。京都府警によると、40~77歳の計7人(男性2人、女性5人)が死亡し、ほかの男女11人が骨折などの重軽傷を 負った。軽ワゴン車は近くの電柱に衝突し、運転していた男は搬送されたが死亡した。

軽ワゴン車が歩行者をはね、救助活動で騒然とする現場(12日午後1時51分、京都市東山区大和大路四条交差点)
軽ワゴン車が歩行者をはね、救助活動で騒然とする現場(12日午後1時51分、京都市東山区大和大路四条交差点)

京都新聞
前回

googleには我々のもとに帰って来て欲しい

もう自分自身も研究室も関連している学会も大きくgoogleに依存している。
だけれども一方で、Google Waveやらgoogle +やらで大きく迷走しているようにも見える。APIの使い勝手も昔ほどではなくて、やたら課金されてひどいことになっている。
1998年にgoogleの検索が出てきたときは、確かにぼくらのためのツールであった。
埋もれたウェブの情報の中から的確にページを選択してくれて非常に驚いた。
gmailがなければ、iPhoneの成功やsmart phone の普及もなったかと強く信じている。
でもなんだか今のgoogleはfacebookに戦いを挑んで僕らとは離れていっているように思えるのである。
実は誰もが知っている「AppleがSonyになれた本当の理由」
404 Blog Not Found
ここに各サービスを提供している会社は、それぞれ誰を相手にしているのかという話しが書いてある。
googleは最初は、我々個人を相手にしていた。だから、”don’t be evil“という標語を我々も信じることができたが、今はその相手が、広告主になってしまっている。
だから、広告主に対してはevilではなくても、我々個人に対してはevilになることもあるだろう。
そんなにソーシャルが重要なのだろうか。個人に向き合った結果、得られる収入では満足できないものなのであろうか。
今、我々 個人に向き合うシステムやらツールは不十分で、まだまだ、googleの出番は多いと思う。
だけれども、そのためには、広告主を意識して会社の運営をするのではなくて、再度、我々の個人をまず意識した運営をしてもらう必要があるのだと思う。
Google、クラウドストレージを4月に発表か
IT Media
こういうのは大歓迎だ。
他のシステムの後追いだけでなくて、googleだからこそできる個人向けのイノベーションってまだまだあるんだと思う。
そして、個人向けの”don’t be evil”を思い出してほしい。
そうでなければ、いつgoogleから抜け出すのか考え始めなければならないから。

メモ:ベクレル シーベルト

ベクレル(becquerel, 記号: Bq)とは、放射能の量を表す単位で、SI組立単位の1つである。単位記号は、[Bq]である。1 s(秒)間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能の量が1 Bqである。例えば、毎秒370 個の原子核が崩壊して放射線を発している場合、370 Bqとなる。

Wikipedia

シーベルトは、生体の被曝による生物学的影響の大きさ(線量当量)の単位。
線量当量とは、吸収線量(放射線から受けるエネルギー)に、法令で定められた係数(放射線の種類ごとに定められた人体の障害の受けやすさ)を掛けたものである。

Wikipedia
– 人体は世界平均にして年間およそ 2.4 mSvの自然放射線にさらされている。Wikipedia
– 2 Svの放射線を全身に浴びると5%の人が死亡し、4 Svで50%、7 Svで99%の人が死亡すると言われている。一方で、0.2 Sv (= 200 mSv)以下の被曝では、急性の臨床的症状は認められないとされる Wikipedia
– 「100ミリシーベルト(mSv)以下では、被ばくと発がんとの因果関係の証拠が得られない」 東京大学医学部附属病院 放射線科准教授 緩和ケア診療部長 中川 恵一
– バナナ一本を食べると、バナナに含まれるカリウム40で0.0001ミリシーベルトの内部被曝をします。つまり、バナナを毎日1.2本食べると、一年間で約0.043ミリシーベルトの内部被曝になります。ちなみに煙草を毎日一箱吸うと、煙草に含まれるポロニウム210で年間0.2ミリシーベルト被曝します。 河野太郎
– 人間の身体も体内に取り込んだカリウムのせいで4000ベクレル程度の放射能をもっています。体重が60kgとすると、67ベクレル/kgになります。それと比べても100ベクレル/kgの物質を放射性物質ではないと定義してもかまわない 河野太郎
– 日本-NY 往復で 0.2-0.3mSv Yahoo

2012国際医用画像総合展

横浜のパシフィコ横浜で開催される 2012国際医用画像総合展 に、医情報学科の学生を引き連れてバス2台で参加することを計画しています。
ちょっと強行軍ですが、下手な工場見学よりもずっと刺激的で将来の仕事が実感できるし、未来が広がるものであることを実感してもらえると思います。
新3年生と新M1を募集中。

日本のものづくりの国際競争力の衰退は激しいのか?

たとえば こんなブログ にあるように日本のものづくりは国際的な競争力の中、衰退期になるのではないかと思っていた。
しかしながら、この2週間の間に、3度、その考えは間違いであるとの議論になった。
日本のものづくりの国際競争力は維持されているという見方である。
衰退していると考えている自分がだめだめだなと思わせるほど、ものづくりにたずさわる、教育されている多くの人が国際競争力は維持されているおっしゃる。
GDPとかがさがっているのは円高などの要因だからだとか、デフレーションになっているのは市場にお金がゆきわたっていないからだという意見も多い。米国の企業が好調を維持するはずがないし、日本の企業はちゃんと考えているのでかならず復活するはずであるとセットでおっしゃる。
日本の赤字の企業は、実は見せかけだけで実態は黒字だし、これまでの蓄積でうまくいくようになっているのだという意見も多かったな。
だからそれほど、appleとかIBMとかgoogleとかfacebookとかを作る必要がないと感じているのであろうな。
そうかもしれない。
だけど僕は日本のものづくりの国際的な競争力は衰退期にあるためにこのようなことになっているのではないかと感じているし、仮に企業の赤字が見せかけだとしても、本当に赤字になってしまうのではないかと思う。
すなわち、僕は「日本のものづくりの国際競争力は平均的には維持されていない」という考えを持っていて、何故、平均的に維持されないかと言えば、作らないといけない「もの」のターゲットが違うからだと思っていた。
だのに、このアイディアはおおよそコンセンサスがとれているものではないことに大いに驚く。
だから、日本でもappleみたいな会社必要だよねとか、なんでsonyってappleみたいにならなかったんだろうというところからの議論にならない。お前何いってんの?日本にapple必要ないじゃん。というところから始まって えー ということになる。
これまた訴求しない例えなのだが、日本刀を作る技術は非常に高い物が必要で、技術を得るのに非常に高いコストが必要であろうし、国際的には高い競争力を持っているであろう。でも、日本の国際競争力を平均的に維持するためには、日本刀じゃあだめだと思うんだけどなあ。
だから、作る「もの(サービス)」を離散的に変える必要があるのだと思う。
医療分野というのはその一つかもしれないし、一部の企業や本学でもチャレンジしているところなのかもしれない。
池田信夫野口悠紀雄に感化されすぎてるかしら。
とりとめのないメモということで。
ただ、「日本のものづくりの国際競争力を平均的に維持すべきであるかどうか」という問題は、また別の議論であると思っている。

なぜAppleはSonyになれたのか?

404 Blog Not Found
これは良い問いかけだなあ。
また、サービスの相手が誰なのかについていつも考えなければならないというのは良いポイントだ。
「誰を主たる顧客とするか」というのがぶれると、別の言葉で言えば、同じ会社に複数の顧客の種類がいると、資源をどちらにふりわけるのかでトレードオフがでてしまう。
同志社大学のうちの学部、学科も同様だな。
誰のためのサービスなのか。
はっきりとした意識が必要だな。
「地の塩」となる人材育成のために、そこはぶれるところではない。

1年 立ちました。

うちの地域では、休み中だが、この日だけは臨時に登校が毎年義務づけられていた。
毎年、体験された方が身近にいたらお話を聞いてくることという宿題がでた。
一方で、祖父は体験しているのだが、その生涯中、僕がどんな質問をしてもまったく何も教えてくれなかった。それだけの体験である。
もっとも怖いのは体験が風化することである。
幼子をかかえ、守るようにして死んでいった母親の姿が多数
愛すべき人が目の前で死んでしまい普通に生活できなくなる人多数。そういう人はプレハブのような一人部屋で暮らすことが難しい。
時間がたつと行政は見た目を気にするようになって、そこで過ごす人のことよりも強制的な町作りに力を入れるようになる
修学旅行で中高生がやってくる。善意でプレゼントを持ってくるのだが、日常的に使えないので、もらった方も、行政もその対処に苦慮する上に、存在することによって問題が発生する。
修学旅行で中高生がやってくる。真剣なものも多数だが、当然、全く感心の無いものも多数。体験談を話す人、準備する人の間で亀裂が生じる。
などなど。
これが何かと言えば、広島の原爆の経験だ。
歴史は繰り返す。何にも進歩していないと無力感を感じる。
大人になってから子供の時よりも力がないこともあるんだなと感じる。
提言や方向付けを行わないテレビや新聞に正面から目を向けられない。
「過ちは繰り返しませんから」と100万回言ってきたけど、過ちは繰り返す。